イニシェリン島の精霊とHIPHOP
概要
あらすじ
1923年、アイルランドの小さい平和な孤島・イニシェリン島に暮らすパードリックはある日、親友のコルムから突然絶縁を告げられる。
長年友情を育んできたはずだった彼が何故突然そんなことを言い出したのか理解出来ないパードリックは、賢明な妹シボーンや風変わりな隣人ドミニクの力を借りて事態を好転させようとするが、コルムから「これ以上自分に関わると自分の指を切り落とす」と恐ろしい宣言をされてしまう。
舞台
イニシェリン島自体は架空の島ですが、撮影の大部分をアイルランドのアラン諸島はイシュモニア島という場所で撮っているみたいです。
劇中では対岸で内戦が行われている描写がありこれはアイルランド内戦でしょう。
とにかく静かで退屈で荘厳なその様子は初めから終わりまで印象的に描かれ続けます。
登場人物(以降ネタバレあり)
パードリック(絶交される方)
優しい。良い人。人生の楽しみはパブでコルムと毎日酒を飲むこと。話がつまらない。独身。
コルム(絶交する方)
あまり優しくない。ヴァイオリンが趣味。いたみに強い。独身。
シボーン(パードリックの妹)
優しい。賢い。パードリックと同居中。独身。
ドミニク(画像右・パードリックの友達)
優しい。島一番のアホ。デリカシーがない。独身。
感想・考察・推測
絶縁の理由
ある日突然「お前が嫌いになった」と親友のパードリックに告げるコルムと訳の分からないパードリックですがその理由は早々に明かされます。
「お前がつまらない人間で、どうでもいいロバの糞の話を2時間もするからだ。ただ意味のない時間を過ごすのではなく、作曲など意味のあることをして人生を過ごしたい。」
70歳手前になって死の輪郭が見えてきたコルムは人生の意義について考え、残りの人生にパードリックはいらないという結論を出したのです。
パードリックは自分が『good』であること、『nice』であることを繰り返し主張しますが、コルムはモーツァルトを引き合いに出しこう言います。
「17世紀のモーツァルトが今も名を残しているのは『良い人』だったからか?」
コルムにとって『良い人』であることは毒にも薬にもならない。意味がないのです。
『良い人』という言葉には聞き覚えがあります。
「〇〇さん?良い人だよ。」
この誉め言葉、人生で数え切れないぐらい、それこそ今まで食ったパンの枚数ぐらい聞きました。大抵の場合は特に印象がない人・褒めるところがない人に使うものでした。
『(どうでも)いい人』なんて残酷な言葉でしょうか。
知性の階級・断絶
コルムにとってパードリックはあまりにもバカすぎたのです。話してても面白くないし、意味がない。
対してパードリックはバカなのでそれがわかりません。無二の親友だし、話してて楽しいのです。毎日最高。
知性の階級は現実世界でも明確に存在します。
今思えば小学校で同級だったあの子は境界知能だったな、なんてことを思う時があります。
子供の社会ではたから見たら上手くはいってなかったし、その原因に人間性や性格なんてものは介在していませんでした。ただただ頭が悪いから。なんか違うから。そんな理由で人間は壁を作ってしまいます。
学歴とか、教養とか、そんなくだらないもので付き合う人を決める大人もたくさんいます。
コルムは繰り返しシボーンに言います。
「あんたならわかるはずだ」
コルムにとって自分と同じくらい賢いシボーンに対し、仲間意識をもって理解を求めていました。
パブの店主は助言を求めてきたパードリックに対してこう言いました。
「仲がいいとは思っていたが不自然だった。コルムは『考える男』でお前は違う」
近い知性の者たちでつるみ、グループになる。そんなくだらないことが自然で、普通。そんなことを示しています。
パードリックはシボーンとこんな会話をします。
P「俺はみんなに笑われているか?」
S「いいえそんなことないわ。あなたは良い人だもの」
P「俺は島一番のアホか?」
S「そんなことない」
P「そりゃそうだ、島一番のアホはドミニクだからな」
P「じゃあ二番目は誰だ?」
S「わたしはそんなこと考えない」
パードリックも実は知性の階級を否定しておらず、むしろ肯定しています。
ただ自分より下の人間は知覚できても自分がどのくらいで、他人がどうか、自分が二番目であることがわからないのです。その知能が原因で。
コルムという男
人生の意義・何者かに成るということ
コルムは死を意識しだした時に人生の意義について考えます。
「俺の人生なんか意味あった?生きてる意味って何?」
これに覚えがある人は多いと思います。
先日リアーナが妊娠している姿でスーパーボウルのハーフタイムショーに出演し話題になりました。
最高にカッコよかったです。
スーパーボウルのハーフタイムショーで、一人で、妊娠していて。
自由で、ROCKで、HIPHOPで、全部じゃん。
生きてる意味ありすぎるだろ。
じゃあ自分は?
リアーナの動画は未来永劫残り続けるし、話され続けるでしょう。
じゃあ自分は?
人は皆自分が地球の主人公だと思って育ちます。
ある程度の歳まで主観だけで生きるのです。漠然と何者かに成れるつもりで成長します。
ただいつの間にかアイドルやスポーツ選手が年下になり、やりたくもないことで少ない日銭を稼ぎ、否が応でも客観視させられます。
生きる意味ってなんだ。俺が死んだら何が残るんだ。
そんなことをコルムもモーツァルトを聞いて考えたのでしょう。
小市民は生きる意味を家族に見出す
世の中の大多数の人間はモーツァルトやリアーナになれません。
歌は歌えないし、絵も描けない。
まず何かを創り出すなんてことができないし、そもそも創ろうとすら思いません。
自分の為に生きれない。意味を見出せない。そんな弱い生き物が人類の9割だと思います。
せかせか働くおじさんに「なんでそんなに頑張れるんですか?」と聞いて「家族の為だから」なんて回答を貰ったことがあります。
歌が歌えなくても、絵が描けなくても、血は残ります。
自分の為に生きることはできなくても、他人の為に生きることはできる。そんな強い生き物が人類の9割かもしれません。
コルムにとって家族がいなかったのは悲劇と言っていいでしょう。
死を意識しだし、意義を求めだしたときに寄りかかれる家族がいなかったのです。
後述しますが主要四人物全員に配偶者がいません。これは偶然でしょうか。
コルムの能力・知性
家族がいないコルムは人生の意義を求め、か細い糸を手繰り寄せて手繰り寄せて辛うじて掴めたのが趣味のヴァイオリンでした。
後世に曲を残す。その為にはアホのパードリックと過ごしている時間はない。
そんな気持ちでパードリックに一方的に絶縁を告げました。
劇中コルムはシボーンにこんなことを言われます。
「モーツァルトは18世紀よ」
コルムはシボーンを同じ知能階級の仲間だと考えていますが、実際にはシボーンの方が賢く、コルムは精々『考える男』レベルで大したことはないことが伺える描写です。
コルムは芸術家で、パードリックはそれが理解できていない。という論調の感想が多々見受けられますが、僕はコルムは精々作曲ができるレベルで、大したものは創れなかったんじゃないかと思います。
人生の無意味さには気づけるけど、気づいたところで自分が求めるものを掴む能力はなかった。そんな人だと思います。
コルムが指を落とす理由
コルムはパードリックに絶縁を告げると共に「これ以上自分に関わる度に自分の指を切り落とす」と言います。
ちょっと一見よくわからないですよね。絶対的にそこまでやる必要がないし、必然性がないです。
パードリックはそんなこと言われても納得できないし、バカなんでコルムに絡みに行きます。
じゃあ実際に指を落とすの?ってこれが落とすんですね。本気なんです。
一本落として、パードリック家に指を投げつけます。石みたいに。
当然驚いたパードリックとシボーンですが、シボーンがコルムに指を返しに行きます。
S「あなた正気?」
C「ああ正気だ。」
S「これ以上指を落とすとヴァイオリンを弾けなくなるわ」
C「ああそうだ。それだけ本気だってことだ」
一見心の底からパードリックと関わりたくないとコルムが考えている描写に思えます。
でもそれでもパードリックはなんだかんだコルムに絡みます。バカなんですね、本当に。二次元が三次元を、三次元が四次元を知覚できないのと似ていて、コルムにとってはそれだけ意味が分からないんです。理解できないものに納得も何もない。だって自分は何もしていないし、昨日まで親友だったから。
それでコルムがどうするか。次四本落とすんですね。左手全落とし。
左手こんな感じになってました。
当然ヴァイオリンは弾けなくなり、只一曲を作ったところでコルムの作曲家人生は終了しました。
コルムは指を落とすことで曲を残せない言い訳を作った。
僕はこう考えています。自分の能力の低さを心の奥底で理解しているが認められないコルムはアホのパードリックという格好の言い訳を見つけたのです。
「自分はやればできたけどパードリックのせいで指を落とすことになったから曲を残せなかったことは仕方ない。」
自分がモーツァルトになれないことを知っていて、それに向き合うことができないコルムは自分の指を落とすことで折り合いを付けました。
コルムはパードリックが嫌いになったというよりは、アホのパードリックと仲良く曖昧に生きている自分が嫌いになったのではないでしょうか。
現実世界でも能力の低さを棚に置いて他人に責を負わせることは往々にしてあります。
自己の弱さを認めることはそれだけ難しいと僕は思います。
特に時間も残されていないコルムにとって、自己の弱さを認めることは即ち自己の崩壊、人生の否定ですらあったんだと思います。
左手が餃子になったコルムはそれでも尚ヴァイオリンを持ちます。
このシーンが本当に滑稽で皮肉。弾けもしないヴァイオリンを持ってパブにやってきては音大生に弾いてもらいながら持参したヴァイオリンを振って喜ぶのです。
自身で音楽ができなくなることを選択するのですが、アイデンティティとしての音楽は持ち続けるのです。
コルムの人間性
自己の弱さを認められず親友と絶交したあげく指を落としまくって左手がカレーパンマンみたいになったコルム。
僕はそんなコルムを肯定します。
世の中には他人を下げることで自分が上だと錯覚し、自分の能力の低さをなんとかごまかして生きている人がたくさんいます。
人を傷つけることで自分の痛みをごまかす人がたくさんいます。
コルムは誰も傷つけたくなかった。
この心理描写は明確に行われています。
まずパードリックに対し「お前を傷つけたくない」とハッキリと発言していおり、何度も「争うつもりはない」という主張を繰り返しています。次にコルムの指を食べてパードリックのロバが死んでしまったときコルムは明らかにショックを受けています。
そして何より、コルムは自分の指を落としています。
コルムが直接傷つけたのはコルム自身だけです。
ただ現実問題としてパードリックは傷ついているし、ロバのジェニーは死にました。
それはコルムの弱さを起因としています。
弱いことは罪ですか
そもそもコルムはこれまで長い間パードリックと親友であったことも考えなくてはなりません。これ普通の人ができることじゃないです。普通の人はパードリックから自然と離れていきます。それがパブの店主です。わざわざパードリックと仲良くする事はしません。
そして絶縁宣言をした後も目の前でパードリックが怪我をしたら肩を貸します。
つまらないと思いながら杯を交わし続け毎日を過ごす。
僕はそこに優しさや愛がないとは言えないです。
不適切かもしれませんが、僕はコルムと介護疲れで爆発する人が重なりました。
そう思うと同時に、「最後まで責任取れないなら最初から関わらないのも優しさだよな」とか、「結局は関係の切り方が下手すぎるよな」とかも思うんですが、これらは結局コルムの弱さに帰結します。
コルムは曖昧に生きるには賢すぎて何かを残すには能力が低すぎ、他人を傷つけたくない優しさを持っているが実行する能力・強さは持っていなかった。
こんな人だと僕は思えました。
パードリックという男
知性の低さが起こす悲劇・能力としての優しさ
登場人物の項では第一印象での優しい・優しくないを書きましたが、コルムが違った様に、パードリックに対しても最終的に僕は少し違う印象を覚えました。
人に優しくするにも知性が必要
パードリックは傷つき島を出ることに決めたシボーンに対し、「俺の飯はどうする」と言い放ち、ドミニクがばらされたくない秘密も「わからなかった」と平然と他人にばらしてしまいます。
コルムに絶縁を宣言された後にコルムが仲良くしている音大生に対し「君の父親が危篤だから本土に帰った方がいい」という噓をつき島から追い出すなんてこともします。ドミニクにそれを責められたときには「実際には元気だから大したことない」なんてことを本気で言うのです。
パードリックは散々書いたように本当にアホなんですね。
一見優しく、『良い人』の様な印象を受けるんですが、コルムの気持ちがわからなかったように、他人の気持ち、人がどう考えるかが全くわからないんです。
これは人間性とは全くの別問題で、知性の問題なんです。
もう少し突っ込むと、『優しい心』と『優しくない心』同時に持っているのがパードリックであり、人間なのでしょう。
肝心なのは優しい心を持っているかどうかではなく、他人の気持ちを想像できるかどうかなのです。
優しさとは想像力の上に優しい心が乗っかって初めて実践できるものなのです。
パートナーとしての動物
しかしパードリックに『優しい心』がないかというとそうではないです。
それは彼の家畜に対する態度に現れています。
パードリックは寂しい夜はロバのジェニーを家に入れます。
同居しているシボーンは家畜を家に入れることを拒否します。
シボーンが新天地を求めて本土に渡った時は「動物たちを置いていけない」と島に留まります。
シボーンにとってはパードリックが唯一の家族でしたが、パードリックにとってはシボーンと家畜は同等な家族でした。
ジェニーがコルムの指を食べたことが原因で死んでしまうと丁重に埋葬し、遂にコルムと袂を分かつことを決心します。
しかしコルムの愛犬を殺すことは絶対にしません。
「明日の2時に家を燃やすけど犬は(関係ないので)殺したくないから逃がしておけよ」
こんな復讐予告を行うのです。
家を燃やされたコルムは『おあいこ』での争いの終結を求めますが、パードリックは「ロバの命を奪われたがお前は命を失っていない」と拒否します。
パードリックにとって命は平等で、人間と動物に差はないのです。
主要四人物が全員独身ですが、その他周りのことを含め現状に満足していたのはパードリックだけでしょう。シボーンと家畜という愛すべき家族、親友のコルムで十分だったのです。
シボーンという女
内の問題と外の世界
シボーンは聡明でかなり能力の高い女性として描かれています。
しかし問題を抱えていない訳ではなく、ノンデリで島一番のアホのドミニクにこんな質問をされます。
「乱れたことがあるのか?(性交したことがあるのか)」
シボーンはデリカシーがないことを咎め、明確な回答をしません。
これは推測ですが、おそらく、ないのでしょう。少なくとも島民からはそう見られています。40過ぎた兄と妹が同居していることが珍しいですし、ましてや1923年です。
そして明らかに自身の能力の高さを活かせていませんでした。
「私には本しかない」
とても印象的な一言です。
同性愛者かどうかは僕はわかりませんでしたが、少なくとも小さい島でつまらない仕事をして兄と一生を過ごすことに満足しているようには思えませんでした。
パードリックとコルムの問題でストレスが爆速だったシボーンは島を出て本土で能力を活かした仕事をすることを選びます。
きっかけはパードリックとコルムの問題でしたが、自身の問題の解決を新天地に求めた様に見えました。
コルムは自身の問題をパードリックのせいにすることで言い訳をつくりました。
シボーンはチャレンジすることを選びました。
これこそがシボーンの強さであり、能力の高さでしょう。新天地で良いパートナーが見つかることを願います。
ドミニクという男
ドミニクにとっての『良い人』・優しさ
知性の階級・断絶ではとよ田みのるさんのツイートを引用しましたが、正にこれで、ドミニクは『良い人かどうか』で人を見ています。
彼にとっては『良い人かどうか』が一番優先するべき価値観で、パードリックが音大生を島から追い出したときは彼から距離を置きます。
『良い人』であるシボーンに好意を寄せ、そこに『年齢』や『乱れたことがあるか』などは関係ないのです。
パードリックと同じで人の気持ちがわからないから聞かれたくないことを聞いてしまうがそこに悪意はありません。
ドミニクの見る世界
ドミニクは島一番のアホで、みんながわかることがわかりません。だからこそ彼にしかない視点を持っています。
「12歳か?」
コルムの絶縁宣言を聞いてドミニクが言った言葉です。
実際くだらないし、本当にどうでもいいおじさん二人の喧嘩です。だるいから早く仲直りしろよ、っていう。
内戦がパードリックとコルムの争いの暗喩になっていますが、対岸の火事のパードリックは内戦に対してはドミニクと近い視点を持てています。
「精々頑張れよ。何の戦いかは知らないが」
関ケ原どっちが勝ってもいい農民もそうですし、当事者がアイデンティティを賭けていても他人にとってはどうでもいいんです。指切った?きめえよ、っていう。
ドミニクは劇中ある選択をします。ここはうまく解釈できておらずそれっぽいことしか言えないので省略。誰か教えてください。
総評
まあめちゃくちゃ面白かったよね。
それぞれのキャラクターに自分が重なるところがあったし、普遍性もある。
ただまあ、これは映画あるあるなんだけど問題提起だけして結局答えは教えてくれないんだよね。ここはそれぞれの人生で探すしかない。
でも答えなんてないんだろうね、生きて死ぬだけ。意味などなし。
パードリックもそうだけど結局この映画も毒にも薬にもならないのよ。でも面白いからそれでいい。俺が一番近いのはパブの店主かなー。
視聴はおすすめしません。
HIPHOPがお前らを救う
色々書いたけどコルムがクラシックじゃなくてHIPHOPを聞いてバガボンドを読んでいたらこんなことになってなかったと思う。
生き方より在り方なんだよな
成功よりStay gold
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