りく

東大でふらふら生きています

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東大でふらふら生きています

最近の記事

4.車窓と退屈と東京と。

我々は妥協を重ねながら生きている。何かやりたいことをあきらめたり、何かやるべきことから眼を背けているだけではない。どういうことなのか。なぜこうなってしまうのか。何か違う、いや、そうじゃないんだ……。そのように感じられる何ごとかについて、「まぁ、いいか」と自分に言い聞かせながら、あるいはむしろ、自分にそう言い聞かせるよう心がけながら生きている。この本は、そうした妥協に抗いながら書かれた。自分が感じてきた、曖昧な、ボンヤリとした何かに姿形を与えるには、それが必要だった(國分功一郎

    • 3.

       僕らの言葉は、一つ残らず全てが借り物で、それゆえに生身の僕が世界に入り込むことはなくて、世界が生身の僕に入り込むこともない。常に僕は何か透明な膜みたいな、それでいてそれはどんなものより固いのだけれど、とにかくそういうものにおおわれていて、僕は一生かかってもそれを引き剥がすことはできない。 ある日の帰り道、夕日の鮮やかな光に、僕は美しさを感じて、希望を抱く。 きっと、僕の目に映った夕日の光は、本当は「鮮やか」ではなかっただろうし、僕がそれに対して、最初に、本当に最初に感じ

      • 2.

         子供の頃、僕は医者になりたかった。まだ幼い僕は、医者は死なないと思っていた。これは、医者は自分の健康に普通の人より気をつけることができるから、人より長く生きられる、みたいな意味じゃない。僕は本当に、医者という生き物は死ぬことがないのだと勘違いしていた。それを当たり前の事実だと思っていた。それが間違いと気づいたのは、何歳の頃だっただろう。小学校にはまだ入学していなかったと思う。え、医者って死なないんじゃないの!?と聞く僕に、母は、そんなわけがないと笑っていた。周りにいた家族も

        • 1.

           文章を書いてみようと思う。動機はなんだろう。わからない。でもとにかく書きたい気分になった。それはもしかすると、低気圧からくる憂鬱さとか、テスト前の焦りとか、そういう些末なものかもしれないけど、まあとにかく書きたいものは書きたい。  完全に後付けだけど、文章を一定の頻度で書くことには実際的な意味もあると思う。まずもって、自分の成長の足跡を残せる。    僕は二ヶ月前くらいに、高校から合格体験記作成の依頼を受けて文章を書いた。文章を書くのは嫌いではないので、その作業は楽しかっ