異なる文化を受容するための自己受容
地方と都会の違いについて、「文化資本」の過多が定期的に話題になる。美術館や劇場、イベントといった文化的なものへのアクセスのしやすさは、たしかに上京組が自分の育ってきた環境とのわかりやすい差を感じる部分ではある。
けれど、地元にいた年数とほぼ同じくらい東京で暮らしてみて思うのは、文化施設の密度やそこにアクセスする頻度といったわかりやすい部分だけを見て優劣を判断したり、ましてやコンプレックスを感じることは相互の「理解」から遠ざかる捉え方なのではないか?ということだ。
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