数字が見落とすもの
大学時代に「数字はときに、言葉よりも雄弁である」と言われたとき、B/SやP/L、CFを見ながら、私はまだいまいちピンときていませんでした。
小さい頃から文章の世界に生きてきた私にとって、言葉よりも雄弁なものなんてないと思っていたからです。
でも、社会人になって数字をもとに考える機会が増えるごとに、「数字はときに、言葉よりも雄弁である」という言葉を身にしみて感じるようになりました。
なぜかというと、数字は行動の結果として純然とそこにあるものだからです。
たとえ口では「興味がない」と言っていても、クリックや購買という行動を起こしているということは、無意識的にせよ何かしらの興味を持っていることになる。
そこには誤魔化しようのない、行動の結果としての数字があります。
同じように、売上もお客様の「買う」という決断と行動の結果が積み重なって表出する数字です。
おおまかに言えば、売上とはお客様が満足してお金を払いたいと思ってくださった総量のこと。
そう考えてみると、企業の社会的意義や影響力を測る上で、売上規模が使われるのも当然のことのように思います。
ただ一方で、数字に囚われすぎると見えなくなってしまうものもあります。
なぜならば、あくまで数字は「行動」の結果にすぎず、行動が起きる前の感情を数字で表現することは現在の技術ではまだまだ難しいことだからです。
例えば、ある広告をユーザーがクリックしたのは本当に興味があっての意識的なものなのか、ミスタップなのか、そしてクリックする前の好意や興味関心がクリックしてからとどう変化したのかは、あくまでそのあとの行動から推測するしかありません。
さらにいえば、自分の日々の生活を振り返ってみれば、行動に表れていない態度変容というものもあると思います。
バナーを見かけたときにクリックはしなかったけれど、ワードが気になって友達との会話に出てきたり、逆にデザインや出し先が悪くてイメージダウンにつながったり。
そうした「数字に出てこない変化」は、現状は想像でまかなわなければなりません。
つまり、数字に出てこない人の気持ちや環境の変化を想像して感じることが「センス」と呼ばれるものなのではないかと思います。
数字は大事で、必ず検証と振り返りはしなければならない。
でも、それだけでは見逃してしまうものがあると理解した上で数字を使いこなしている人こそが、本当に強いマーケターなのだろうなと思うのです。
数字だけでもなく、感性だけでもなく。
そのちょうどいいバランスを常にとりつづけたいと思う今日この頃です。
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