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これから重要になる "バズらない力"

昨日、NewsPicksで佐渡島さんのコミュニティに関する記事がアップされていました。

この記事の中で特に印象的だったのが「大ヒットしないように気をつける」という話。

私自身、最近あえてバズらない力について考えていたところだったので、自分の考えている方向は間違っていないのだという確信が得られた記事でもありました。

これに関してはNewsPicks上でコメントした後に連続ツイートもしたのですが、瞬間風速的な盛り上がりは自分のステージを上げるという意味で1、2回くらいは必要とはいえ、祭りを作り続けられる人というのはごく少数。

大半の人はスキルよりも先に、メンタルの方が消耗するからです。

私も過去に何度か10万PV以上の体験をしたことがあり、そこからさらにいろいろなメディアに出していただきました。

そのときに感じたのは、露出が自分の身の丈を超えると危険だということ。

あるレベルを超えると『届いた嬉しさ』よりも『わかってもらえないストレス』の方が上回ってしまうからです。

数字に単純化すると10万PVだとしても、その内訳を見てみると自分がこれからも価値を届けていきたい相手ではないことも往々にしてあり、届くべきでない人に届いてしまうことほどお互い不幸なことはないと私は思っています。

届ける意味のある人に、丁寧に届け続ける。

これが作り手も受け手も幸せになる上で重要なことなのではないかと思うのです。

もちろんこれが行きすぎるとフィルターバブルになってしまうので、価値観が違う人や否定的な人にも一定数届く必要はあります。

しかし、そもそもの前提が異なる人の意見を変えようとすることほど不毛なことはありません。

それでも人が批判コメントに反応してしまうのは、『自分の話が正しく伝わっていない』という悲しみが根底にあるような気がしています。

だからこそ、単に数字を積み増ししていくだけではなく、冒頭の記事で佐渡島さんがおっしゃっていたように『自分のことを深く理解しようとしてくれている人が一定数以上いること』こそが作り手が作り続けるために重要なことなのではないかと思います。

振り返ってみると、私がnoteで書き続けてこられたのも、noteが『届いた嬉しさ』を提供してくれるサービスだったことに加えて、『よくわからない人に間違えて届く』ということがほとんどない設計だったことも大きいのかもしれません。

そして今は、月額マガジンという仕組み上で、私の書いたものをお金を払ってでも読みたいといって集まってくださった人たちもいる。

私も人間なので、ついバズの奴隷になりそうになったり、渾身の記事を書いたのに不発だったときは凹むこともあります。

しかし、そうした短期的な浮き沈みに左右されず、淡々と毎日積み重ねていこうと思い直すことができるのも、私が書いたものを深く理解してくれる人たちがいるとわかっているからです。

そもそもバズるといっても10万PVくらいであれば、渋谷のまちですらその記事を読んだという人に会う確率は極めて低い。

ワイドショーで連日報道されるレベルまでいかないかぎりは、ネット上でのバズなんてほんの小さな世界での祭りでしかありません。

その小さな祭りに一喜一憂するよりも、私は自分の信じる世界を一緒に信じてくれる人たちの明日が一歩だけでも変わるような毎日を積み重ねたいと思っています。

青臭いし、綺麗事かもしれないけれど、そういう小さな積み重ねでしか信頼は築けないし、結果として大きなことは成し遂げられないと思うから。

ちなみに、こうした安心して届けられる場所があることで、影響範囲が大きくなってきたときに『耐える力』も強くなり、結果としてより影響力を高められるという循環があると私は思っています。

ちょっと尖ってるかな、一定の批判はくるだろうなと思うネタでも、わかってくれる人たちがいれば思い切って書くことができる。

信じてくれる人がいるということは、それだけ人を強くするということでもあります。

ただ、自分のやりたいことと違うネタで話題になっても意味がないですし、私は常にPVが伸びた記事やツイートに対してはnoteとTwitterのフォロワー転換率とエンゲージメント率を見るようにしてきました。

一瞬野次馬的に見にくる人ではなく、長く関わりたいと思ってもらうこと。

大切なのは話題になることではなく、話題になったときそこから興味をもってファンになってもらえるような信頼を日頃から貯めているかどうかなのではないかと改めて感じた記事でした。

★noteの記事にする前のネタを、Twitterでつぶやいたりしています。

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最所あさみ
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