道草の効用
芥川龍之介は、「つまり」が口癖だったらしい。何で聞いたか読んだか、定かではないけれど…という太宰の曖昧な記憶からこの短い散文は始まる。ただ、事実がどうかはさておき芥川の文章を読めばたしかにと納得してしまう口癖ではある。芥川の文章は、並いる文豪の中でも特に無駄がなく削ぎ落とされている。そんな彼の口癖が「つまり」だったとしても、さもありなんと思わせるだけのものがある。
現代的な言い方をすれば、芥川は生き急いだ人であった、と思う。弓矢が引き絞られるように、張り詰めて張り詰めて、あっというまに散ってしまった。
太宰もかつては「つまり」を追求する側だったと独白しているように、程度の差こそあれ誰でも早く結論を掴みたいという気持ちはある。まだその光が遠くにしか見えない、手の届かない距離にある若い時分には特に。
けれど、脇目も振らず効率だけを考えて進んでいるうちに、多くの人はその深淵の恐ろしさに気づいて立ち止まる。「つまり」を追求していった先には、幸福でなく破滅が待っていることに本能的に気づいてしまうのだ。
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