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批判する覚悟と、人を幸せにする力

先日「おいしい映画館始まります。〜あなたの心を“鑑賞後のハッピー感”で満腹にします!〜」という自主上映イベントで、「シェフ 三ツ星フードトラック始めました」という映画を鑑賞してきました。

あらすじとしては、グルメブロガーに料理を酷評された上にレストランのオーナーと仲違いし、シェフをクビになった主人公が、フードトラックをはじめて再起するロードムービーです。

シェフとしてのプロ意識を感じたり、父子が旅を通して徐々に心を通わせていく様子にジーンときたり、道中のアメリカの広大な景色やマイアミの開放的なビーチに旅行欲を掻き立てられたり、2時間があっというまに感じられる非常にいい映画でした。

いろんな角度から語ることができる作品だと思うのですが、私が特に感じたのは「発信力」という凶器の恐ろしさです。

私たちの一言が、店を潰すこともある

主人公がレストランを辞めるきっかけになったのは、あるグルメブロガーが主人公のレストランを酷評したことでした。

その記事は瞬く間に拡散され、新進気鋭のシェフとして名を上げてきた主人公は、一気に「時代遅れの料理人」として全米中に知られることになるのです。

主人公がそのブロガーに対して直接怒りをぶつけるシーンは、まさに迫真の演技。

「こっちは命をかけて料理を作ってるんだ!俺も、スタッフも全員、一生懸命にやってるんだよ!それをお前たちはただ食べるだけで好き勝手書きやがって、一体何様のつもりなんだ!これでレストランが潰れたら責任がとれるのか!?」
と、それまで我慢していた怒りをぶつけます。

結局、このマジギレ動画がまた全米中に広まってしまい、職も失ってしまうわけですが、常に批評に晒されている作り手からすれば、よくぞ言ってくれた!という人も少なからずいるのではないかと思います。

「レビュー」というものには必ず批判がつきものですが、主人公が言う通り、レビューひとつでお店が傾くこともある。

批評をする際には、全員が「自分の一言が人の人生を大きく変えてしまうかもしれない」という覚悟をしなければならないと思います。

「批判」する覚悟はあるか

批評について考えるときいつも一番に思い出すのは、穂村弘の「整形前夜」の中で紹介されていた、書評家・豊崎由美さんの言葉です。

ある作品を批評する際には、初期の作品と最新作を読み、さらに代表作を2、3冊おさえればよい。ただし、作品を褒めるのではなく批判するときには、全作品に目を通さないとまずい。

この姿勢こそが、批判する覚悟だと私は思います。

本だけでなく、絵でも写真でもプロダクトでも、一面だけ切り取った批判はトンチンカンなものが多く、有益なフィードバックとは言えません。

特に現代は、Web記事をはじめとする断片的な情報だけで批判されることが多いもの。

しかし世の中はたった数百文字で白か黒かを書き表わせるものではなく、もっと複雑でグレーなものです。

特に批判や悪口、人を攻撃するような語り口は、悲しいことに褒めたり応援するコメントよりも広がりやすい性質をもっています。

だからこそ、本当に批判すべき対象なのかどうか冷静に見極めるという意味でも、すべてに目を通すくらいの覚悟が必要なのだと思います。

さらに、すべてに目を通すということは愛なしには成し遂げられないもの。

同じ「批判」でも、改善を望むからこそのフィードバックは、時に褒めるよりも大きな愛が詰まっていることもあります。

映画の終盤でも、酷評レビューを書いたブロガーが「憧れだったからこそ君が自由に料理できていないと感じさせるあのメニューがショックだったんだ」と語り、和解するシーンがでてきました。

最終的に主人公はこのブロガーの出資を受け、自分の店をだしてハッピーエンドという結末にいたるわけですが、ここはまさに批評家としての矜持をひしひし感じるシーンです。

「発信力」は幸せのために使うもの

この映画の面白いところは、SNSのせいで炎上して無職になった主人公が、SNS力を借りて再起していく点です。

息子のSNS発信はもちろん、キューバサンドを買ったお客さんたちが感想をそれぞれツイートし、あっというまに行列のできるフードトラックになりました。

この「モノは使いよう」というメッセージは、開業準備のために買い出しに行った金物屋さんで、主人公が息子にシェフナイフをプレゼントするシーンにも込められています。

いいか?包丁は職人の命だ。これを使ってたくさんの人を笑顔にすることもできるが、一歩間違えば大怪我をする。だから、ちゃんと手入れをして大切にして、気をつけて使うんだぞ。

包丁をSNSにそのまま置き換えることもできる、素晴らしいメッセージだと思います。

SNSに限らず、私たちが日頃使うツールは、本来ポジティブに使うために作られたものがほとんどです。

それを人の幸せのために使うか、自分さえよければいいと人を攻撃するために使うかは、私たちの手に委ねられています。

力やお金を持てば持つほど、正しく使う覚悟をもたなければならないと思う今日この頃です。

最後に:映画という「体験」のはなし。

今回「シェフ」を観たのは、映画館ではなくBETTARA STANDでの上映イベントです。

主催の柴田さんは将来映画館をやりたいという熱い想いがあり、先日も「映画は2時間も人を拘束できるコンテンツすごいコンテンツなのに、観たあとすぐその熱量を解放してしまうのはもったいない!」という話を熱く語り合ったばかりでした。

当日は上映中からいい匂いが漂ってきて、終了とともに映画のキーフードであった焼きたてのキューバサンドを食べるという楽しい映画体験も!

寝転んだりしながら自由に映画を観て、面白いところでは笑って、これまでにはない楽しい体験でした。

今回は初の取り組みということで、本人たちにとってはもっとあれもこれもできたのに!という思いもあったようですが、個人的にはとても楽しい体験だったので次も参加したいなと思っています。

前に「美女と野獣」の記事でも書いた通り、映画館という業界はもっと根本から変わることができる業態だと思います。

その新しい第一歩は、実はこうした個人の熱い想いから少しずつ生まれていくものなのかもしれない、改めてそう感じた素敵な体験でした。

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(Photo by 「シェフ」公式HP

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