雑誌は時代の変化を写す鏡 #女性誌研究
土曜日は「女性誌研究」をテーマにしたイベントを開催しました。
15年近く女性誌を定点観測してきた女性誌オタクの私と、Web編集者として長年コンテンツを作ってこられた桜川さん、食トレンド研究家の渥美さんとともにひたすら『雑誌』をテーマに語り続けた4時間(!)のイベント。
それでも個人的にはまだまだ語りたいことがたくさんあって、時間が足りないくらいでした!!!
今回お二人それぞれとお話しして改めて思ったのは、雑誌は時代を写す鏡だからこそ雑誌を定点観測することで時代の変化を読み取りやすいということ。
お二人と話している中で、なんども雑誌から脱線してWebコンテンツやママの消費行動の話など周辺領域へと派生していったのがとても印象的でした。
特に桜川さんがおっしゃっていた話で納得感があったのは『100万の読者を掴むのは不可能な時代だからこそ、10万単位で深く刺していくことが大事』という話。
これは雑誌という『深い』メディアだからこそできることなんだろうなと思います。
Webはコンテンツが細切れすぎて、そのひとつの記事だけで世界観を作ることは難しいけれど、雑誌は『あえての無駄』すらもその世界観を構成するひとつの要素になる。
最後に『なぜ編集長の交代を意識するんですか?』という質問を受けたのですが、この『あえての無駄』をどう許容するかに編集長の美意識と哲学が出るし、いかに過去のセオリーを覆して今っぽいコンテンツを作れるかはたった1人の熱狂からはじまるのだと私は思っています。
もちろんWebの編集長も美意識や哲学を持った人が多いと思いますが、良くも悪くも細切れで数字が出てしまう分、『このコンテンツは意味あるの?』という経営層からの問いに常に答えていなかければいけないんですよね。
でも実際にはコンテンツの価値ってPV数や読了率だけで測れるものではないし、全体を俯瞰した時にここで箸休め的なコンテンツが必要、という設計も必要だったりします。
そのあたりの判断は、パッケージで見られる雑誌だからこそ思い切ったことができる側面もあるんじゃないか、と思うのです。
あと冒頭で桜川さんと意気投合したのが『デバイスによって最適なコンテンツの届け方が大きく変わる』という話。
雑誌のWeb版も、Webメディアが作った雑誌も、どちらも基本は既存コンテンツを別のフォーマットに流し込むような考え方で作られていることが多いのですが、その発想で面白くなった雑誌ってほぼないんですよね。
イベント中にあげたMERYや古着女子はWebコンテンツの強みやファンが求めていることを言語化した上で実際に雑誌というモノを作る部分はおそらく雑誌のプロにかなり任せているはずで、コンテンツのコアはそのままに、フォーマットにあわせてコンテンツの魅せ方を変えられるかが成功のポイントなのだと思います。
そういう意味ではイベント中に紹介したCanCamのLINE MOOKはかなり秀逸で、CanCam誌上のコンテンツをWeb(LINE上)で消化しやすいかたちに丁寧に作り変えられており、この一手間をかけても採算がとれるようなビジネスモデルの構築がこれから課題になりそうだなと感じています。
ちなみに今回、雑誌の読み方としてお話ししたのが『その雑誌における最上位ステータスの変遷を見る』ということ。
例えばJJは一昔前であればお嬢様大学に通って年上彼氏がいる、というのが憧れステータスでしたが、最近では六大学のダンスサークルに入ってそこの先輩と付き合うのが一番のロールモデルへと変わりつつあります。
なのでファッションも神戸系お嬢様スタイルから韓国系ストリートに変化しつつあり、同年代の雑誌であるCanCamやViViとはまた違うポジションを確立しています。
また、VERYも井川遥時代は専業主婦として豊かな家庭生活を営むことが最上位ステータスでしたが、カバーガールがタキマキさんに変わったあたりからワーママへと層を広げてきました。そして現在の理想像はフリーやIT企業でリモートワークをしながら豊かな家庭と自分らしい仕事のバランスをとっている女性になりつつあるように感じます。
このように、憧れられる女性像の変化とその象徴であるカバーガールの交代は、雑誌考察において重要なポイントだと思っています。
また、今回のトークで話題に上がったのが付録問題。
私もこないだコミュニティの定例読書会で聞いて改めて興味を持ったのですが、最近は女性誌の付録の領域を超えて、MOOK本としてモノと本の主従が逆転した本がたくさん売られています。
先日新宿の書店に行った際は、女性誌よりもMOOK本の方が重点的にアピールされていて面食らったり…
あと街中をよく見てみると、意外とMOOK本のグッズを使っている人も増えているみたいです。
つまり雑誌の付録はもはや雑誌を流通させるためのおまけではなく、ブランドのアイテムを売るための流通経路のひとつとして本屋が活用されている、という風にみるべきなんですよね。
このテーマについては私も考察を深めきれていないので、これからじっくり本屋を巡って考察してみたいと思っています。
そして後半はお待ちかねのVERYタイム!!!ひたすらVERYのすごさについて語りまくりました。笑
ママ雑誌市場においては『VERY以前』『VERY以後』といってもおかしくないくらいVERYのインパクトは大きかったと思っていて、その最たるものが『ママがおしゃれしてもいいじゃない!』という価値観を作ったことだと思うんですよね。
初期VERYで起きた有名な賛否両論ネタとして『抱っこ紐コーデ』がありますが、今や抱っこ紐をしていてもかわいく見えるトップスやコートの選び方というコンテンツは他誌でもよく取り上げられており、先駆者だからこそ賛否両論の風を受けていたことを感じます。
ママ(主婦)ってどうしても家族の健康や家庭のお金を預かる役割というイメージが強く、旧時代的なサラリーマンと同じく『滅私奉公』こそが美徳とされてきた時代が長くあったと思うのですが、ワーママも増えて可処分所得が上がったからこそ、自分のためにお金を使う、自分をかわいく見せるという考え方を切り開いてきた雑誌だよなと思います。
そしてVERYの代名詞とも言えるのが『細かすぎる◯◯を探してきました!』コンテンツ。
保護者参観に出るパパ用スリッパの話は、見つけたときからずっといろんな人に話しまくっている鉄板ネタです。笑
それ以外にも毎回本当に細かい探し物テーマを定義した上でぴったりのものを発掘してきていて、ママの教科書雑誌として崇められるのも納得。
ママが言語化できていない潜在的ペインポイントをしっかりついてくる紙面づくりはさすがの一言です。
また、渥美さんの実体験をもとにした『ママの情報インプット』は私もとても勉強になりました。
私は独身でそこそこ時間もあるのでだらだらとSNSをみる余裕があるけれど、ママはとにかく時間がない!
お子さんを抱っこしながらアプリで雑誌をパラ読みしていた、という渥美さんのエピソードにもびっくりしました笑
前半の桜川さんのトークの中で『Webコンテンツにとっては電車の扉が開くことすらも競合になる(離脱が発生するから)』という話があったのですが、ママの時間はまさに細切れで、子供の鳴き声や次々と迫り来る家事など、情報摂取においてゆっくり雑誌を読む時間ってなかなかとれないんですよね。
トーク中もちらっと話しましたが、ママ雑誌のニーナズが紙の雑誌は休刊してWebに注力したり、MartやママガールがWeb上のママコミュニティ育成に力をいれているのも、紙面をじっくり読んでもらうほどまとまった可処分時間を毎月ママにとってもらうのが難しいからなのかもしれない、と思ったりします。
今回、トークの前半でLINE@やLINE MOOKの話をしていたのですが、このあたりの施策が充実しているのは若者向けが多く、ママが今欲しい情報を効率的に摂取できるWebメディアはまだまだ開発の余地があるのかも?と思いました。
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『雑誌はオワコン』という論調もよく見かけますが、最近ユニクロがオリジナル雑誌を作ったり、ビームスが文春とコラボしてオリジナル文春を作ったりと紙だからこそできることが再注目されている機運を感じています。
たしかにこれまでの雑誌がそのまま生き延びることは難しくなりつつありますが、Webでファンをもつメディアやサービスがより『深める』ための装置として雑誌を活用したり、誌面に読者を積極活用することによってエンゲージメントの高いコミュニティを形成するなど、深いコンテンツをベースにしたコミュニティ化がひとつのキーワードになっていることを感じます。
また、雑誌の誌面づくりやアプローチ方法を学ぶことは、消費者の情報の摂取方法の変化を知ることでもあります。
私自身もいち雑誌オタクとして、引き続き気づいたことや考察したことがあればnoteにしたためていこうと思いますのでお楽しみに。
女性誌イベントもまたどこかのタイミングで開催します!
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