「ファッション」が私たちにもたらすもの
『衣食住』の中で、一番贅沢品とされがちなのが『衣』、つまりファッションという分野なのではないかと思う。
もちろんどれも最低限必要なものだし、食事も住居も豪華にしようと思えばどこまででもお金をかけられるものであることに違いはない。
でもなぜか『食べること』『暮らすこと』に比べて、『装うこと』は余剰で贅沢なことだとみなされがちな気がしている。
それはパリコレをはじめとするコレクションブランドの煌びやかなイメージのせいかもしれないし、最近バーバリーが大量廃棄で問題になったりファストファッションブランドが引き起こす社会問題などの印象が影響している可能性も大きい。
さらに、スティーブ・ジョブズやマーク・ザッカーバーグをはじめとする起業家たちがシンプルでカジュアルな格好を好み、新しいファッション哲学を打ち立てたことも影響しているかもしれない。
ファッションにこだわることは無駄で、贅沢なもの。そういう感覚が少なからず世の中に蔓延しているように思う。
かくいう私も別にたいしてファッショナブルな人間ではないし、クローゼットに入っている洋服すべてが完璧にお気に入りなものばかり、というこだわりのある人間でもない。
ただ、ファッションフリークではないマジョリティ層の中で、ファッションに対する希望を持っている、という点が自分自身の強みだと私は思っている。
そんな私だからこそ捉えられるファッションの意義や役割があるんじゃないか、と。
特に消費行動が大きく変わっている今、ファッションが私たちにもたらすものを再定義することが、『ファッション』という文化を豊かに育み続ける上で重要になっていくのではないかと思う。
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ファッションというのは単なる洋服のことではなくて、もっと思想性が高いものだと私は思っている。
『洋服は一番外側の中身だ』という言葉がとても好きなのだけれど、身にまとうものはその人の思想や価値観を一瞬で明らかにしてくれる。
一番わかりやすいのが職場での服装で、男性のスーツ姿は渋谷系IT企業だと『今日何かあるの!?』と聞かれるけれど、丸の内系大企業は逆にスーツじゃなかったら『今日は休日出勤なの!?』となるだろう。
スーツというアイテムひとつとっても、その人が属している組織や価値観をよく表している。
単にどんな洋服を選ぶかだけではなく、どうケアをしているかとか、着こなし方とか、ヘアメイクを含めたトータルのバランスをどうとっているかとか、そういう細かいところにもその人らしさがでる。
『ファッション』は洋服が好きの特別な人たちのためのものではなく、本来はあらゆる人のためのものだ。
見た目以外に自己表現する手段が増えたとよく言われるけれど、完全に誰とも会わずに生きることは難しい以上、『人間』という概念が生身の体に紐づいているうちは重要なコミュニケーション手段であり続けるだろう。(余談だけど、あと50年くらいしたら『人間』という概念の再定義が必要になる気はしている)
今までもこれからも、ファッションの大きな役割として『社会との接続』があることは間違いないのだけど、今後はさらにこの2つの意味が大きくなっていくんじゃないか、と私は考えている。
①所属の確認
②自己編集による自己肯定
以下、それぞれ具体事例とともに説明していきたい。
①所属の確認
前段でファッションを『重要なコミュニケーション手段』と表現したのだけど、今後はコミュニケーションの意味合いがこれまでと変わっていくのではないかと思っている。
どういうことかというと、これまでは自分をアピールするという単体で且つ一方通行のコミュニケーションが主体だったけれど、今後は『一緒に』『双方向の』コミュニケーションの意味合いが強くなっていく。
昔から『お揃い』という概念はあったけれど、最近になってその呼び方が『リンクコーデ』になり、友人同士やカップル、親子で完全に一緒ではなくよく見たらリンクしている、というファッションを楽しむ人が増えたのは、ファッションが自分1人で楽しむものではなくなってきているということの証左だと思う。
リンクコーデは2年ほど前から世界的にも定着しつつあり、最近『Mini-Me Dressing』という単なるKIDSアイテムを超えた概念もでてきている。
『シェリーメイコーデ』などの仮装の延長のような遊びも、自分1人ではなく友人と一緒に行ってそれが呼応していることに意味がある。
前にカフェカンパニーの楠本さんが『ラブ&ピース カンパニー』で『今アウトドアやスポーツがトレンドになってるのは、人とコミュニケーションする手段だから』という話をされていたのだけど、これはファッションでも同じことが言えると思う。
『自分自身がどう見えるか』ではなく『自分 "たち"がどう見えるか』。
そういう発想の消費が、今後ますます増えていくのではないかと思うのだ。
また、前段でスーツの例を書いたように、あるアイテムをいいと思うかどうかはその人の価値観が色濃くでる。
今後はそれが一歩進んで、あるコミュニティにおいて『これを身につけていることがメンバーの証』という意味合いも強くなっていくのではないかと思っている。
わかりやすいのがIT企業のロゴTシャツで、まずコミュニティがあって、その思想や価値観にあったものを作るという流れと、それを身につけていることによる所属の確認が、ファッションの役割のひとつになっていく。
Everlaneの成功もこの思想性がひとつの要因だと思っていて、単に安いからという理由ではなく彼らの『Radical Transparency(劇的な透明性)』という思想に共感した人たちが買い支え続けていく、という関係性は、今後もっと広まっていくように思う。
つまりコミュニティとブランドは不可分であり、思想のないものは価格競争に晒され、自然淘汰されていく。
いかに『所属感』を作るか、そしてそのために自分たちの思想をどんなメッセージに乗せて伝えていくかが重要になっていくのだろうと思う。
②自己編集による自己肯定
ここまで書いたことと相反するようだけれども、ファッションには社会性だけではなく『自分と向き合う』という要素が多分に含まれていると思う。
個人的には実はこちらの方が重要だと思っていて、そのわりに見過ごされているのでもっと啓蒙していきたいと思っていることでもある。
ちょっと前に『でいい消費』という話を書いたのだけど、今はあまりに『でいい』の方に世の中が振れすぎている気がしている。
『でいい』のクオリティが上がるのは素晴らしいことなのだけど、ファッションに限らずあらゆる分野で『これでいいや』という選択を重ねることとは、じわじわ自己肯定感を蝕んでいくんじゃないかと思うのだ。
誰かが一生懸命考えて作ったものに触れて『自分にはそれだけの価値がある』と感じる体験をすることは、自己編集とそれに伴う自己肯定感の育成につながる。ファッションが私たちにもたらしてくれる意味として、私はこれが一番大きいと思っている。
高ければいいというわけではなくて、誰かが真剣に『これ "が"いい』と思って作ったもの。『これ "で"いいや』と投げやりに作ったものではなくて、思想と愛が練り込まれたもの。
私たちに身体性があるかぎり、その思想性を最大限に伝える媒体としては『モノ』が一番優れているんじゃないかと思う。
ちなみに『でいい消費』の作り手も『これがいい』と愛を込めて作っていて、そのこだわりや思想を自分が受け取っているのであればその人にとってそれは『がいい消費』だ。
逆に言えば、どんなに相手がいいものを作っていても、100万円のドレスを買ったとしても、『これでいいや』と適当に選んでしまったら『でいい消費』になってしまう。
こないだRent the Runwayの創業者が『クローゼットには物語が詰まってる。過去も未来も、女の子の物語が詰まってるのよ』という話をしていたのだけど、身につけるものを選ぶことは大げさに言えば『自分がどうありたいかを選ぶ』ということだ。
そして洋服やコスメといったモノの力を借りて変身することで自己受容できるようになる、という自分の支え方もあると思う。
過去の自分が好きになれなくても、未来の好きになれそうな自分を選ぶことで、少しずつ『好きな自分』を増やしていく。
そういう力がファッションにはある。
私はファッションは究極的にはコスプレだと思っていて、自分のキャラクターが一定ではないように、ファッションもその時々の分人にあわせて変える楽しみがあると考えている。
だから『今日はこの自分になりたい』という理由でもっと軽やかにファッションを選べるようにしたい、というのが私がずっと持っている課題意識だ。
ファッションは余剰なものでも贅沢品でもなくて、私たちの欲求の深いところに根ざしている『必要なもの』だ。
この主張は、ファッションフリークではない『普通の人』として、これからも言葉を変えながら伝え続けていきたいと思っている。
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今日の余談は、うつわのマリアージュを推すレストランは成立しうるのかについて。
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