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"論者"の道と "実行家"の道

世の中には「論者」と「実行家」の二種類の人間がいて、立場が違えば考え方も違う。

それを深く理解したのは、勝海舟の談話を集めた「氷川清話」を読んだことがきっかけでした。
私もつい最近まで知らなかったのですが、実は福沢諭吉と仲が悪かった勝海舟(というより、福沢が勝を批判していたという方が正しい)。

政治家に付き物の有識者からの「批判」に対する彼の態度からは、実行家としての清々しさを感じます。

「福沢がこの頃、痩我慢の説というのを書いて、おれや榎本など、維新の時の進退に就いて攻撃したのを送って来たよ。ソコで「批評は人の自由、行蔵は我に存す」云々の返書を出して、公表されても差し支えない事を言ってやったまでサ。福沢は学者だからネ。おれなどの通る道と道が違うよ。つまり「徳川幕府あるを知って日本あるを知らざるの徒は、まさにその如くなるべし。唯百年の日本を憂うるの士は、まさにかくの如くならざるべからず」サ。」

ここで出てくる「痩せ我慢の説」というのは、明治25年に福沢諭吉が勝海舟・榎本武揚に向けて送った意見書で、明治34年に彼らからの返書と共に「時事新報」で公開されたものです。
(「痩せ我慢の説」の現代語訳はこちらのブログがわかりやすくておすすめ。)

ここで勝海舟が言いたかったのは、「学者である福沢の理想と、政治家である自分が実行すべきことは違う」ということ。

前述の「氷川清話」の中でも、勝海舟はこんなことを言っています。

とにかく、経済のことは経済学者にはわからない。それは理屈一方から見る故だ。世の中はさう理屈どおりいくものではない。人気といふものがあって、何事も勢ひだからね。

勝海舟が「理屈」と「実際」を分けて考えるようになったのは、若い頃の航海の経験が大きかったようです。

(転覆しそうになった顛末を師に話して)
「いくら理屈は知っていても、実地に危ない目にも遇ってみなければ船のことはわからない、危ない目と言っても十度が十度ながら格別なので、それに遭遇するほど航海の術はわかってくるのだ」と教へてくれた。この時におれは理屈と実際といふものは、別だといふことを、いよいよ明らかに悟ったよ。

氷川清話の中にも、「間合い」や「時流」、「機微」と言った単語が頻繁に出てきて、理屈の正しさが実際に効果を発揮するわけではないということを言葉を尽くして主張しています。

そして彼自身はとにかく「実行家」として生き、自分の成したことに言い訳も弁明もしない人でした。

理屈は学者に任せて、己はただ目の前の大事を成すのみ。
彼の生き方に憧れるのは、深いところでそうした覚悟を感じるからだと思います。

しかし、現代はSNSを通して誰でも簡単に「論者」になれる時代になりました。

先日の青木さんのツイートにハッと胸を突かれた人も多いはず。
「実行のモチベーションは美意識」という言葉には、私も耳が痛くなりました。

はるか昔、「起業家」「芸術家」と呼ばれる人たちを突き動かしてきたのは、貪欲な承認欲求だったと思います。

まだまだ紙が貴重で「論者」になるハードルが高かった時代、承認欲求を満たすには自分の作ったもの、成し遂げたことによって評価される方が手っ取り早かったからです。

しかし今や、実際にやっているかどうかに関わらず、発言するだけでいいねやRTといった反応が得られ、承認欲求が満たされる時代。

「やりたい」と言ったことを「やろう」とするには、青木さんのいう「実行の美意識」もしくは強い課題意識を必要とします。

また、人がよく口にする「学びたい」「成長したい」という言葉も、似たニュアンスを含んでいるように思います。
勝海舟のこの言葉は、いつまでも「学びたい」と言っている人には耳が痛いのではないかと思います。

人間の性根には限りがあるから、あまり多く読書や学問に力を用ゐると、勢ひ実務の方には疎くなる筈だ。
学者必ずしも迂闊なのではない。その迂闊なのは、力が及ばないからだ。

もちろん、「論者」と「実行家」の間に貴賤があるわけではありません。

研究し、理論を尽きつめる人がいてこそ実行家が新しいものを作れるもので、実行家の行動によって新しい研究がうまれる。
このふたつは常に両輪の関係なのです。

ただ、理論を突き詰める覚悟もなく、さりとて実行家としてやりきる意志もなく、安全なところから実現可能性の低い夢物語を投げて満足しているような人間にはなりたくない。私はそう思っています。

以前「私の『やりたいこと』の話をします。」で書いた、私の「やりたいこと」。

まだまだかたちにするにはほど遠いけれど、実行家でありたいという「焦り」は、薄れさせずに自分の中に持ち続けなければならない、と思っています。

先日「それをやるためには、今なにがネックなの?」と聞かれて、思わずうーんと考え込んでしまったのですが、私がやりたいことを実現するにはたくさんの段階を経なければいけなくて、それをすべて自分でやるのか、ショートカットする道を探すのか、独立してからの4ヶ月間はそれを見極めるための時間だったように思います。

そして最近いろんなところで記事を書かせていただいて思ったは、私は「論者」として突き詰めるには、「かたちにする」を愛しすぎているということ。

書いたものを褒められるより、自分の戦略や計画がかたちになる瞬間が一番楽しい。だからこそ「実行家」として腹をくくっていこうと改めて思いました。

学び、考え、影響力をもつ。すべてはやり遂げるために。

もしわが守るところが大道であるなら、
他の小道は小道として放っておけばよいではないか。
智慧の研究は、棺の蓋をするときに終わるのだ
。(勝海舟)

(Photo by artnart
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