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本当の優しさは、「与える」ことではなくて
優しさは、GIVEと共に語られることが多い。自分の利益のために人から何かを奪おうとするのではなく、利他の精神で人に与えることが優しさなのだ、と。
たしかに、「優しい人」をイメージするとき私たちの頭に浮かぶのは何かを無償で与えてくれる人だ。こちらのためを思って、時に自己犠牲も含みつつ行動できる人。優しさとはそういうものだと、私たちは思っている。だから自分も人に優しくしようと思ったら、まず与えることを考える。人のために時間やお金や労力を使って、でもそこに対価や見返りを求めないこと。それが私たちが一般的に思う「優しさ」だ。
でも、与えることはすべて優しさなのだろうか?
与えることは、実は押し付けることと紙一重だ。目に見えるかたちでは何も求めていないつもりでも、感謝や尊敬のように感情で「支払い」が発生していることもある。ありがた迷惑という言葉があるように、与えたものが本当に相手に有益なものだったのかを検証するのは難しい。
人に優しくするにはどうあるべきなのだろう。考えれば考えるほど、難しい問題だ。
以前、映画「夜明けのすべて」を観てこんな感想noteを書いた。
この作品の中で描かれている優しさが心地よいというところまでは言語化できたのだけど、この優しさとそれ以外の優しさの違いがどこにあるのかはうまく言葉にできずにいた。
そんなことを考えていたとき、たまたま福岡・糸島への旅に一緒に行った仲間たちの優しさに触れて、私が目指したい優しさはこういうことなのかもしれない、と気づかされた。(糸島の旅で出会った「幸せの味」の話はこちら)
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