批判される道を選ぶ覚悟
今オフの野球界でもっとも注目されたのが巨人・菅野のメジャー挑戦だった。長年エースとして第一線で活躍し、数々のタイトルを獲得してきた日本球界最高投手がメジャーからどう評価されるのか、巨人ファン以外も注目していた。
結果として菅野はメジャーでの契約を諦め、日本に残留する決断をした。コロナの影響もあるとはいえ、その決断には球界OBからファンまでがっかりした気持ちとともに批判する声も多かった。
「挑戦」するならどんな悪条件でも行くべきで、オファーがきたのに断るのは「思い」が足りなかったのではないか?
そんな世論の声の大きさに、菅野の「僕一人の力でここまで来られたわけじゃないから」という声はかき消されてしまった。
野球選手は個人事業主だが、その報酬はすべて彼らに入っているわけではない。マネージャーやトレーナーなど選手を支える裏方がチームとして存在しており、野球選手は個人事業主というよりも「社長」に近い。(この話は以前菊池雄星さんとのイベントでもお話いただいたので興味があればあわせてどうぞ)
「菅野智之」への評価は菅野個人のプライドや金銭的利益だけでなく、彼を支えるチーム全員への評価であり、社長として彼らに十分な報酬を支払えるだけの条件を引き出さなければならない立場でもある。
私は誰のことも雇用していない完全にひとりでやっているフリーランスなので、自分ひとり食べていくだけなら年収を大幅に下げてでも夢に挑戦するかもしれないと思う。でも、もし自分の収入が大幅に下がったことで自分がこれまで支払ってきた相手にこれまで通りの報酬が支払えなくなったり、契約を終了しなければならないとしたら自分の「夢への思い」だけでは決断できないような気がする。
実際に彼が何を考え、どういった理由で残留したのかはわからないけれど、ほとんどの人は裏側にある事情など想像することなく、矢面に立つ選手自身の決断をあれこれ批判する。それもスターの宿命でありある程度は許容しなければならないとはいえ、タフな交渉の末に諦めざるをえず意気消沈している人に対して過度な批判をぶつけるのは酷なんじゃないかと思う。
そりゃあもう答えたくなくなるよなあ、と。
とはいえ、彼も批判に晒される覚悟をもって日本残留を選んだのだろうとは思う。ただでさえ巨人でポスティングを認めてもらい、本来よりも早く渡米の権利をもらった身である。オファーがなかったのであればまだしも、オファーはあった上で条件が折り合わなかったという諦め方は、高望みしすぎなんじゃないかとか本当に夢を持っているのかと感じる人も多いだろう。
それでも菅野が残留を選んだのは、きっと彼の中でメジャーでプレーする夢以上に曲げられないものがあったからなのだと思う。
菅野は、世間から批判されるとわかっていても自分がしたいことを曲げたりしない。小さい頃から「原辰徳の甥」として評価される苦しみを背負いながらも野球を続け、夢だったプロ野球選手になるときも1年留年してまで巨人に入る道を選んだ。
そして今のところ、彼は選んできた道を必ず「正解」に変えている。
だから私は世間が菅野の選択を批判すればするほど、きっと今回の彼の決断もきっと「正解」になるのだ、と確信している。
菅野はいつも、苦しい方を選ぶ。世間に誤解されやすく、批判される方ばかり選んでいる。もっと生きやすい選択もできたはずなのに、なぜかいつも両肩に重しを背負いながら進んでいく。
まるで「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」と徳川家康が説いた生き方を、自ら体現しているかのように。
人は誰でも、できることなら批判はされたくないし、一度発した夢に一貫性をもたせるために意地で選択をしてしまうこともある。でもそういった状況に流されることなく、自分がどうしたいかを考え抜いて出した結論を、私は尊重したいし応援したいと思う。
菅野が選んだ道は、絶対正しい。彼のこれまでの苦悩と苦難、そしてそれをいかにして乗り越えて偉大な記録を打ち立ててきたかを知っているからこそ、確信をもってそう言える。
彼の決断は、いつだって「正解への一歩め」なのだから。