これからのコンテンツは「短編集」になっていく
私は以前からドラマと消費行動の相関性に興味を持っているのですが、最近朝ドラにハマったことで改めて『15分』という尺の絶妙さを感じています。
そして今後動画の再生端末に占めるスマホの割合が高くなっていく中で、この『15分』という尺はひとつのフォーマットになっていくのではないかなと。
ちょうど半年ほど前も同じようなことを考えてつぶやいたりnoteに書いたりしたのですが、1時間でもなく30分でもなく、かといって5分でもない『15分』という長さはかなり絶妙なんですよね。
自分が朝ドラをNHKオンデマンドでみるタイミングを思い返してみると、洗濯物を畳んだり掃除をしたり、キッチンで料理や洗い物をしたりする時間が大半を占めています。
つまり10分〜15分、長くても30分はかからない家事をこなすタイミングで『ついでにあのドラマをながら見しよう』と思って見ているのです。
また、ドラマだけではなくNetFlixオリジナルの『世界のバズる情報局』や『世界の今をダイジェスト』なども15〜20分の尺なので、こうした家事の合間にサクッと見ています。
こういう話をしていると『じゃあ1時間ドラマを15分ごとに区切って見たらいいんじゃない?』と言われるのですが、『1時間で楽しませるために作られているもの』と『15分で楽しませるために作られているもの』って、同じ15分でも切り出すと全然違うんですよね。
はじめから15分で作られているものはその15分の中に起承転結があるし、話が進むリズムも15分で満足できるように作られている。
1時間ドラマが長編小説だったとしたら、15分ドラマは短編集のようなものだと思います。
そして本に関しても最近は短編のものを好んで選んでいる自分に気づいた時、これからあらゆるコンテンツは『短編集』のパッケージングを意識しなければならないのではないか、と考えるようになりました。それも、ひとつひとつが完全に独立しているのではなく、登場人物をリンクさせて全体の世界観は統一しつつも、単発でも楽しめるような短編。
そんな入れ子構造を作ることが、今後コンテンツを作る上でますます重要になっていくのではないかと思うのです。
ただそれは単に尺を短くすればいいというわけではなく、1つのコンテンツでドラマ性や情報への満足度を担保するには最低限必要な時間というものがあり、現時点においてはその最適なバランスは『15分』がひとつの目安になる気がしています。
さらに、個人的にもうひとつこれからのコンテンツに必要だと思っているのが『引用しやすさ』。
言葉やシーンなど、一瞬を切り取っても絵になるポイントを作り、それがSNSを中心に拡散されていくことで『見てみようかな』と思う人が増えること。
時間の投下ハードルが上がっている今、自分が求めているものを確実に受け取れるだろうと感じさせることができなければ、コンテンツの消化時間が1分だろうと5分だろうと時間を使ってもらうことは難しいというのが今の時代の特徴です。
例えば『半分、青い。』では秋風先生やおじいちゃん、ハルさんや和子さんなど鈴愛と律に対して印象的な言葉をかける登場人物がたくさんでてきました。
しかもセリフを引用しつつ感想を言っても140字で収まるような、短くも印象的なフレーズがたくさん散りばめられており、放送当時タイムラインにはそうした名言が溢れていました。
脚本を書いた北川先生がどこまで意識して書いていたかはわかりませんが、Twitterで感想を言いやすいセリフを織り込むこと、スクリーンショットだけで目を引くようなシーンを作ることは、膨大な情報の海の中で一瞬でも目をとめてもらうために必要不可欠なことではないかと思います。
私もよくnoteを書く上で『ここを引用してほしいという勝負の一文を必ずいれる』という話をしているのですが、いかにシェアしやすいフックを作るかということは、今後コンテンツを作る誰もが避けては通れないポイントになっていくはずです。
伝えたいことを伝えるためのストーリー作りと、届けたいものを届けるためのパッケージング。
時代にあわせてこの2つを柔軟に変えていくことが、コンテンツメーカーに求められる素養と言えるのかもしれません。
★noteの記事にする前のネタを、Twitterでつぶやいたりしています。
今日の余談は、もし私がこれからアパレルブランドのインスタをやるならどういう戦略をとるか、という話。
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