広告デザインがアート化する未来
年末の箱根旅行で、はじめてポーラ美術館に行った。
そのときちょうどやっていた企画展が『モダン美人誕生』というテーマで、江戸末期から昭和のはじめにかけて『美人』の概念がどう変わっていったかを、絵画や写真から辿るというものだった。
今回特に面白かったのは、画家・岡田三郎助の作品の変遷からみるアートと広告の関係性だ。
岡田三郎助はもともと美人画で有名になった洋画家で、その能力を買われて宝飾ブランドや百貨店からポスターの依頼がくるようになった。
特に三越との関係が深く、数多くの作品を残しているのだけど、初期は写実的な絵画の隅っこに『新柄発表』のような文言がついているスタイルだったのが、後期には人物描写もキャッチーになり、印象的なキャッチコピーが入るようになっていく。
どちらもアート性は高いけれど、ポスターはそれが『広告』である分メッセージがとても具体的で、だからこそデザインがミニマルにシンプルになっていくのかもしれない、と思った。
広告は突き詰めれば『これを買ってほしい』『ここにきてほしい』ということが伝えたい内容なのであって、『人生とは何か』とか『真実の愛とは』といった抽象的な問いを表現しているわけではないのだから、受け手によって伝わるメッセージが違ったら意味がない。
つまり、『全員に同じメッセージが伝わること』こそが、近代の広告デザインに求められてきたものだったのだろうと思う。
ちょうどそんなことを考えていたとき、Instagramの広がりが屋外広告に影響を与え始めている、という記事を読んだ。
記事の内容をざっくり要約すると、『インスタ映え』を求める消費者が屋外広告を使って写真を撮るようになった結果、情報を押し付けるためのデザインではなく、ユーザーが写真を撮りたくなるようなアート性の高い広告を作ることがトレンドになりつつある、という話だ。
たしかに去年は羽が描かれた壁の前で写真を撮るとか、アメリカのIcecream Museumのような『インスタ映えする空間』で撮った写真をよく目にした。
最近だとチームラボの展示で撮った写真も毎週のようにみかけたし、昨年韓国にいった時は写真取り放題の美術館までできていた。(韓国視察レポートはこちら)
インスタ映えの文化は、かわいい『モノ』を撮るだけではなく、映えの世界に没入する自分(たち)を撮ることが当たり前になりつつある。
そうなると、これまでは交通量があるところに出すことがすべてだった屋外広告も、『あの広告の前で撮りたい』とひとたび話題になれば、たくさんの人の目に触れる可能性が広がるということでもある。
しかも、SNSを通して、ユーザーは無料でその広告を拡散してくれるのだ。
つまりこれからは、自分たちの言いたいことを広告にすべて詰め込むのではなく、ユーザーが遊ぶための余白を作り、ユーザー自身に拡散してもらうクリエイティブを考えることが必要になっていくのではないだろうか。
この参加型の考え方は、Webの世界ではずっと言われてきたことではあるけれども、Instagramを通してリアルな世界を切り取って拡散することができるようになったからこそ、リアルな世界にも同じことが起きようとしているということではないかと思う。
自分たちの言いたいことを押し付けようとしても、もはやこの情報の海の中では見つけてもらえる可能性は限りなく低い。
屋外広告だって、たとえたくさんの人が行き交う場所に出したとしても、ほとんどの人がスマホをいじりながら下を向いて歩いているのだから、以前ほど人の目には止まらなくなっている。
だからこそ、伝えたいことをストレートに詰め込むのではなく、考えたくなるような『問い』や埋めたくなる『余白』を作ることで、その広告を目的地にしてもらう必要がある。
もしかするとこれは、前述のアートから広告デザインへ変化してきた流れと真逆の道を辿ろうとしているということなのかもしれない。
だとするならば、これからの時代を牽引するクリエイターは、岡田三郎助がアートの感性を持ってデザインに落としこむ『越境人』だったように、明確なメッセージ性をもちながらも表現の抽象度を上げることで余白を作れる人なのではないだろうか。
最近はそんなことを考えている。
★noteの記事にする前のネタを、Twitterでつぶやいたりしています。
今日のおまけは、最近一番尊敬している女性について。
よくいろんなところで『ロールモデルにしている人は?』『注目している女性は?』と聞かれるのですが、正直これまでまともに答えられた記憶がない…。
つくづく、ロールモデル不在の時代に生きていることを感じます。
そんな私ですが、最近『この人の思想は共感する!』と思った女性起業家がいて、それは
ここから先は
¥ 300
サポートからコメントをいただくのがいちばんの励みです。いつもありがとうございます!