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「生産的な趣味」の時代
GWにSNSをチェックしていると、初めは10連休にウキウキしていた人たちが後半になるにつれて『十分休んだからそろそろ働きたい』とつぶやく姿を見かけるようになった。
10日間もの連休は夏休みや年末年始の休暇でもなかなかあるものではなく、社会人になってから一週間以上連続した休みをとったのは初めてだという人も少なくなかったのではないかと思う。
日本人はバケーションが短いとよく言われるけれども、いざ長期間の休みに入ってみると『生産しないこと』もまた人にとって苦痛なのだと思い知らされる。
働く、つまり何かしら自分の力で世の中に価値を生み出すことは、何より大きな娯楽なのだと思う。
しかし長い目で見れば、私たちは『生産のための労働』から解き放たれていくことになるだろう。
それは決してユートピアではなく、『人間が働くより機械にやらせた方が早い』という時代が訪れ、私たちが働く必要はなくなるということだ。
現在も生活に必要なものを生産するだけであればすでに人間の数は余っていて、より便利なもの、新しいものを作ったり、今あるものをよりたくさん売ったり高く提供するために労力を使っているとも言える。
このまま効率化を突き詰めていった先には、そんな仕事すらも必要なくなる時代がくるだろう。
そして私たちに残されるのは膨大な余暇時間だ。
しかし10連休で痛感した通り、永遠に消費だけしつづけるのは意外と難しい。
人に承認欲求や自己顕示欲がある限り、自分以外の対象に価値を認められるための生産的な活動をしたくなるものだからだ。
SNSにおける承認欲求も、この生産欲求が根底にあるのではないかと私は思っている。
素敵なカフェに行ったりおいしいものを食べたとき、ただ消費するだけではなく、写真を綺麗に撮ったり、細かくレビューを書いたりすることで人から認められることは、その人の生産欲求を満たす。
それがたとえ直接的にお金にならなかったとしても、自分の書いた文章や作った音楽を発表して誰かから反応をもらえることは、その人の『生きる意味』を作る。
こうした生産欲求を満たす趣味を、私は『生産的な趣味』と呼んでいる。
趣味といえばこれまでは読書や映画鑑賞、ゲームなど受け身なものが多かった。生産欲求は仕事で十分に満たされている分、余暇時間は消費するだけで満足できたからだ。
しかし今後労働時間は短縮され、休日も増え、私たちは仕事だけで生産欲求を満たすことは難しくなっていく。
だからこそただコンテンツを消費するだけではなく、その感想をシェアしたり実況動画や解説コンテンツを作ったり、おすすめコンテンツのキュレーションを作ったりする。
平成までは『仕事がない』というと雇用の問題だったが、令和以降の問題は『生産的な趣味がない』に言い換えられるのではないかと思う。
つまり今後は稼ぐための仕事ではなく、生産的な趣味としての仕事を作ることが、企業の仕事になっていくだろう。
それは雇用面だけではなく、商品やサービスづくりでも同じことだ。
完成されたものを提供するのではなく、いかに顧客が手を加えたくなるものや自分らしい工夫ができるものを提供していくか。
今後売れるのは、人の生産的趣味を後押しするものになっていくだろう。
人は価値を生み出さずに生きていけるほど強い生き物ではない。だからこそ、価値を生み出すための手助けをすることこそが、これから求められていくことなのではないだろうか。
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文学や芸術は理数的知識の対極のように思われることが多いけれども、例えば「この概念は何によって構成されているのか」とか「分類・整理した場合にどのような差異が認められるのか」とか科学的にアプローチするためには数学的に考える必要があるのでどの分野でも頭がいい人はだいたい数学ができる
— 最所 あさみ(asami saisho) (@qzqrnl) March 23, 2019
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