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キミは何故会社を辞めたのか?#3「ウルトラクイズ的D社編」

企業のM&A、統合の過程においてリストラはよくあることで、外資系で働く方々には結構一般的な話です。
私もリストラにあった人がいると、
「自分の責任ではないので、そんなに気にしなくて良いですよ、次の企業もそれは正当な理由として認識してくれますから。」
とアドバイスしてします。

気にしなくていい、と言いながらも、実際リストラされたらそれは複雑な心境にもなりますし、一言で語れないドラマがあるかと思います。
では私の場合にはどうだったのか、詳細に振り返ってみたいと思います。


人生がビューティフルじゃない?

D社の最終面接終了し内示をもらった翌週、日経新聞でX社によるD社買収の記事が大々的に掲載され、その事実を知るというなんともあれなイベントから物語は始まります。
流石に買収される企業に入るのはリスク大きすぎて、
本当に飛んで火にいる夏の虫になって即死しかねず、
自分は2度も辞退の申し出をしていました。

それでも、一度サンフランシスコのD社ヘッドクォーターで話を聞いてから決めてくれと頼まれ、渡米することになります。
本社は昔ゴールドラッシュ時代にツルハシなんかを作ってぼろ儲けした会社のレンガ作りの倉庫を改造しためっちゃかっこいいオフィスで、あやうくそれだけで

「やっぱりここで働かせてください。」

と言いそうになりました。

MM本社ビルモザイク

今でもあのオフィスは自分史上素敵なオフィスNo.1のままです。
しかしやはりこんなにヤバイ橋は渡ってはいけないと思い出し、アゲアゲになった気持ちを抑えて本社のお偉いさんに、

「流石にゴールデンパラシュートをくれとは言わないが、ブロンズパラシュートくらい用意してくれないと、危なくてまさかの場合に、即死しちゃうよ。」

というニュアンスでリストラ時の保険的な条件をお願いしました。
その結果、サイニングボーナス(入社一時金)は追加されたのですが、やはり退職時の保険になるパラシュートは用意されず、万一の場合はパラシュートなしで上空1000mから放り出されてくださいという条件になってしまいました。

成田空港からの帰りの車の中で、お誘いいただいたD社日本法人のO社長に丁重に辞退を申し出たのですが、

「どうしても来て欲しい、来てくれないと困る。」

と泣き落とし作戦で粘られます。
そしてもう自分の家に着く直前にとうとう、

「ここで断ったら人生がビューティフルじゃない。」

とO社長に言われてしまい、
Back to The Futureで「チキン」と言われてむきになるマーティのように、無駄な反骨精神を発揮して、結局入社することになってしまいました。

必死のパッチ

そして入社初日です。
暖かく迎えられる事を少しだけ期待していたのですが、
「社長が連れてきた奴でどうせ腰巾着なんだろう」的な雰囲気が漂っており、同僚の視線はかなり冷たい感じでした。
これは、
「必死のパッチでやらんとあかんな」
と気を引き締め、いろいろ取り掛かります。
希望していくつかの部門を兼務させてもらったので、仕事は沢山ありました。

入った直後の四半期のフォアキャスト(売上予想)が芳しくなく、臨時のインセンティブプログラムが実施されることになり、
自分が直接、間接に営業部隊のディールに関わることになりました。
ある大型ディールでは夜中の2時位まで本社と交渉し、朝の6時頃にその結果を聞いてまたアクションするというのを1週間続け、めでたく受注できました。
結局、1年分のインセンティブ予算を1四半期で全て取り切ることになり、その成果もあり、同僚からの信頼も得られたのかと思います。

そんな感じで、短期間のうちになんとか仕事で成果もだせるようになっていました。
一方、買収プロセスは世界各地で独禁法の承認をとる必要があり、遅々として進みません。

CEOに物申す

買収前ではありますがX社のGlobal CEO(いちばん偉い人)がワールドツアーでD社現地法人を表敬訪問することになりました。
D社日本法人にもGlobal CEOがやってきて、全従業員の前でなんかありがたいことをおっしゃっておられましたが、全く何を言ってたかは記憶にありません。
そして
「何か質問ある?」
という最後の質問タイムに、遅々とした買収プロセスに痺れを切らしていた自分は

「X社はこれまでいくつかの会社が買収してきたが、ことごとくプロセスが遅く、ローカルマーケットにダメージを与えている。今回はそうならないように迅速にプロセスを進めてもらえるんでしょうね?」

と聞いてしまうのです。
まぁ、ローカルオフィス全体として困っていたので、何とかしてほしいという気持ちではあったのですが、
買収されて占領軍の軍門に降るくらいなら、敵将に見所がある奴だと認められて上に組み込まれる一発逆転ホームランを狙ったほうがいいと思っていました。血気盛んな若者だったのです。許してあげてください。
しかし買収先の一従業員がそんな口の聞き方をして、どうなのよという感じではあります。

また、承認前はローカルオフィス間の接触は禁止されており、お互い調整したい事はどんどん山積していくので、ジリジリしながら許可が出るのを首を長くして待つことになります。
例の如く、そういうお役所的規則は無視して、こちらからX社の担当者に許可なくおしかけておりました。
漸く許可が出て、ローカルオフィス同士の打ち合わせが解禁になった時には、
「本社に聞かないと判断できない」
という官僚的受け答えをする相手に対して

「仕事は現場でおきてるんだよ!」

と踊る大捜査線風の発言をしておりました。
先方からすると、
「なんで買収される奴にこんな上から目線な言い方されなあかんねん」という気持ちになったに違いありません。

アメリカ横断ウルトラクイズ的解雇通告

そうこうしているうちにDay1といわれる統合日がやってきます。
Day1には統合後のポジションが発表されるのですが、その前週末の金曜日にO社長に呼び出されます。

「買収元のカルチャーに合わない管理職がいると言われてるんだよ」
と困った風にO社長は私に言ってくるのです。

「それは僕のことですね」
と私が返すと、

「いや、キミの次に合わないのは私なんだけど」
とO社長は申し訳なさそうに言ってくれました。

青天の霹靂でした。
まさかあれだけ頑張って成果もだしたのにこんな事を言われるなんて、本当にショックでした。

統合初日にポジションがあったマネージャ達はそのままサンフランシスコのワールドワイドキックオフ(スーパーボウルっぽくて素敵です。)に参加する為、その日の夕方のフライトで米国出張となります。
ですので、当日はスーツケースとパスポートを持参しなければいけません。90%位クビと分かっていましたが、中がスカスカなスーツケースとパスポートを一応持参しました。

Day1当日、発表の個別面談の前に一本の外線電話がかかってきました。

「いいオポチュニティがあるのでお話できませんか?」

「いやいやまだクビになってませんねん。ちゃんとクビになってからでいいですか?」
とお返事しておきました。
別の親切な上司が馴染みのヘッドハンターに手を回してくれていたのです。ありがたいことですが、フライングですw

そして個別面談にO社長が呼びにきてくれ、
「ごめん、最後まで粘ったんだけど無理だった」
とまたまた申し訳なく言われてしまいます。
個別面談ではアメリカ人のヴァイスプレジデントより
「あなたのポジションはないので、こちらが退職パッケージになります。」
という解雇予告をあっさりいただきました。

そういえば昔ありましたよね、アメリカを横断するクイズ番組。
あんな感じで
「はい落ちた!」
って言われてスーツケース引きずってスゴスゴ帰る感じです。
最初からクビなら
「スーツケース 持ってこないでいいよ」
と言ってくれればいいのに、とも思いましたが、
絵面が面白いのであれもいい経験だったんでしょうね〜(遠い目)

そして私は無職になりました。

解雇されて失ったものと得たもの

まぁ一生懸命やってたんでクビになったのは自分のせいではないと思っておりましたし、その後お世話になった転職エージェントの方々も恥ずかしがることはないと言ってくれました。

本当にそうでしょうか?

まぁ皆さんもこれまでの経緯から
「いやこれはクビになっても仕方ないんじゃないの?」
と思いますよね。
そうですよね、カルチャーが合わないという優しい表現で勘違いしておりましたが、チームを融合しなければいけないのに、こんな尖った奴は混ぜられなかったのです。
言うべき事・やるべき事を相手に受け入れやすい言い方・方法で実現するという能力が著しく欠けていたんだなと思います。
その能力があればまた違った道を歩んでいたのかもしれません。

教訓はありましたが、あれはあれで後悔していません。
D社の為に体を張っていたのを同僚たちは認めてくれて、本当の仲間として今もずっと付き合っているからです。

仕事は失いましたがもっと大事なものを得ることができました。


次回、転職早々、本社で失神するキミは何故会社を辞めたのか?#4「外資カンマネE社編」こちらから

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