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【私という人】Ⅱ


まだこちらをご覧になられていない方は、こちらを見てから以下の文章を読み進めていただけると、読みやすいかと思われます🙌

第二章 私の第二の故郷

不安がいっぱいの受験生活

そうして、中学2年の終わりに急遽"受験生宣告"を受けた私。受験生活はすぐに始まりました。

さすがの私も、今回の受験は何のプレッシャーも無しに挑むことはできず、頭の中で常に"落ちたら中卒"という文字はあったと思います。

併願しなかったのか?という声が上がりそうですが、結論、志望校が専願募集しかしておらず、出来ませんでした。
(出来るなら受かるか不安だったのでしたかった、、笑)


プチビリギャル生活1

さて、入試科目についてですが、私は

  • 国語(作文)

  • 数学

  • 英語(文法、リスニング、作文)

ここに10分間の自己推薦プレゼンテーション(面接)が加わる形の入試でした。

そのため、小6から通っていた個別指導の塾は、受験生コースに切り替え、主に国語と数学を見てもらっていました。

そのため当然毎月の"模試"も受けるようになります。
しかし、結果はボロボロ。

私自身、模試が壊滅的に苦手で、点数に伸び悩み、ある日の面談でついに、

"偏差値20以上上げないと志望校には受からない"

と言われます。

衝撃でした。偏差値20上げるなんて可能なのか、と耳を疑いました。

ですが、行くためにはやるしかない。

ということで、まずは、受かるまでは自分の携帯に触らないことを自分への約束として課しました。

今まで何となくでやってきた勉強に本腰を入れるには、これまで腐るように見ていたLINE、YouTube、インスタ、X(当時はTwitter)、その他SNSを全て封印するところからだな、とそう思いやってみました。

(ちなみに調べ物も自分のではなく、母親の携帯をわざわざ借りてするほど徹底しました。笑)


プチビリギャル生活 2

しかし、当時中高一貫校に通っていた私にとって、1人だけ"受験生"をしていたことはやはり精神的に辛いものがありました。

携帯とタピオカ片手に楽しそうに帰宅する同級生を片目に、私は学校から直接塾に向かい、塾がない日も閉館時間まで自習室でひたすら勉強していました。

もちろん私にとって中学3年生の時期が全く楽しくなかったわけではないですが、心の底からは楽しめない、そんな感じがずっと続いていました。

登下校の時間も、面接の文章をただひたすら頭の中で唱え続けるか、塾の小テストの勉強。

"落ちたら中卒"
その怖さが常に付き纏っていました。


プチビリギャル生活3

話が若干逸れましたが、こんな感じで、国語と数学は塾で勉強していましたが、英語(英作文)は、親戚に帰国子女の方がいたので、その方に付きっきりで教えてもらっていました。

実は英語勉強歴よりフランス語勉強歴の方が長い私。
(小学校のカリキュラム上)

最初は書けるのか不安でしたし、実際、語彙の少なさや文法のミスに苦戦しました。
しかし、徐々に"文章が書けている"ということが楽しくなり、自然と英作文はマスターしていけました。


そして、1番の肝である面接の対策は、母親の友人の方や母親に面接役になってもらい、何度も本番同様の面接の練習を重ねました。

(入試直前は毎晩ぬいぐるみに向かって面接練習をしたりしてました🧸笑)


1年間の集大成

こうして、偏差値20上げろと言われ始まった怒涛の日々はやっと終わりを迎えます。

当日、緊張で頭が一瞬真っ白になったり、とプチハプニングはありましたが、、

結果は、合格。


そして、余談ですが、長い戦いが終わり、気が抜けたのか、終わった直後は、高熱が出てインフルになりました。笑

合格祝い。この後インフルになります。笑

ここで私の幼少期〜中学生までの経歴は終わりです!
変わった私ですが、皆さんが読んでいて少しでも面白いな、興味深いなと思ってくれていたら嬉しいです笑

次回は高校入学後の話になります〜

それではまた!👋

Hikaru.

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