退路を断つということ
〈孫正義氏の退路を断て〉
==それに対する私の回答==
そもそも、退路とはなんだろうか。
行く道のあるひとにしか、“退路”と言う言葉は存在し得ない。これは、事実である。
なぜなら、退路という言葉は、自由に道を行き来するものに、そのような言葉は、ないからである。
また、勝負を仕掛けているということも、退路という言葉に暗に意味するところがある。
①行く道のないひとに退路という言葉はない
②勝負を仕掛けていないひとにこの退路という言葉が使われるということはない
では、このように定義されたわけだが、ここでいいたいのは、退路を作るということである。
あくまで、“退路を断つ”という言葉は、退路があることを前提にしていると、いえる。
そもそも、退路がないひとは、断つ必要がないのである。
では、ここで、退路を作ることから始めるのであった。
私の退路とは・・・・
①道を諦める
②1;全体を素早く適当に片付ける戦略
2;全体から、わかること、できることを引いて、丁寧に、ゆっくりと正確に仕上げる戦略
3;読み上げてもらって、素早く、正確に行う戦術
③他のことをする
④他の極めることに従事する
このような退路が作られた。
では、退路を絶っていくことにする。
①道を諦める ✖️
③他のことをする ✖️
④他の極めることに従事する ✖️
② ②1;全体を素早く適当に片付ける戦略✖️
2;全体から、わかること、できることを引いて、丁寧に、ゆっくりと正確に仕上げる戦略 ○
3;読み上げてもらって、素早く、正確に行う戦術✖️
このよう退路を絶った。
しかし、すべての退路を絶ったところで、何もしないに等しいことになる。
なぜなら、それは、退路を作って、すべて絶ったら、自由な道を行き来するということに他ならないからであり、それは、そもそも、退路という言葉を使う意味さえ失うからである。
つまり、