ヒトが持ちうるただ4つの状態
ヒトが何かをするとき、次のいずれかの状態しかとらない。
①受動かつ不可能
②能動かつ可能
③普遍かつ不可能
(④普遍かつ能動)
これだけではわからないので例を挙げると、あなたがここにある誰かのペンを奪ったとする。
するとこのときのあなたの状態は奪ったのであるから当然「能動かつ可能」であるはずだ。
対して、奪われたヒトについては瞬間的にとはいえ「受動かつ不可能」であることがみてとれる。次の事例としてはある知恵がある。それはつぎのようなものである。
これをあなたが誰かに紹介し、それを紹介されたひとは、へえーそうなんだとすごいねと言い「やっぱり、事を隠すのは神の特権で、事を探るのは王様のようなひとがすることなんだなあ。やはり、神様と王様とて、それぞれの特権あがり、身分や立場が異なり天の高い神の特権と、地の深い王様の心は測り知れないほどすごいものなんだなあ。大切なことだ。」といって知恵として活用しようという気になったとする。
この場合は知識とは似ているが知恵として経験的に活用できるし、公共でほとんど知られている言葉であり、それは2人とも「普遍かつ不可能」なものとして共有されたものとなる。
ここで少しツッコミが入りそうだ。いや「普遍ではあるが可能ではないか?」ということだ。まあそれは置いておき、このようにヒトは何らかのことをする場合、この3つの状態を取りうるわけだ。
次からが本題である。
例えばある物質であるペンを譲ったと解釈していたヒトが実は奪われたと解釈する事例がある。
少し想像しにくいため具体事例をだすことにした。
例えば、このような事例だ。
あるとき会社で会社の物であるXというものを役職Aのものと、役職Bのものが共有で使用していた。
それら会社の物Xは役職ABにつくものの誰のものでもなく、会社の物であるから当然、使用してはいないものの役職Aに属するCのものでも、役職Bに属するDのものでもない物である。
それら複数のXが役職AとBの共有の使用の元に行ったり来たりすることがあった。
そこで、役職AのCさんと役職BのDさんとで過不足が生じ得ることがたびたびあった。
そんなとき、あるXが役職AのCさんの元で不足している時にCさんは「Xが役職Bの Dさんに奪われた」と思ったが「Xを持っていったDさんはほとんんど先輩であるCさんにいつも渡しており、頻度としては5つのXのうち、1つしか先輩のことを考え持っていかなかったためDさん本人は4つのXを譲っていたと思っていた」
このような事例である。
この場合の事例においてはどちらが悪いとかいうことではなく、所有欲や執着、発想の違い、考え方の違いでそのような奪うが譲るになっていた例である。
どちらが悪いということはここでは問題にしないがそれはただの例であるからだがこのように一方は譲りエネルギーを得たのに対して、一方は奪われエネルギーを失ったというのはなぜ起こり、どれほどの損失と得があるのかを考えてみよう。
この場合、これは誰のものでもないXを奪い合うという考えをした役職Aの Cさんと、常にXを陰ながら譲り渡していた役職Bの Dさんとではゆうに8倍の差が生まれることがわかる。
これは、奪われる、奪う、奪われない、奪わない、譲らない、譲れない、譲られる、譲るの8通りあるうちの奪われると譲るがこの事例から反対に位置しているからである。
もちろんこのような事例だけではモノを解決したとしても知識や知恵は解決していない。
実はこれが知識Yだとするとこのようになる。
奪うと、譲られるが対義になっているということである。それはどういうことかというとあなたが仮に学ぶとして、それは本から知識Yを奪う(覚える)ことか、もしくは、誰かから知識Yを譲られる(教えてもらう)かのどちらかであるからだ。
知識の場合は先ほどの8倍と違って損失や得の差は6倍の差となる。また、知恵である場合はどうであるか。知恵Zである場合、普遍かつ不可能であるか(もしくは普遍かつ可能か)になるため、奪われないものであり、譲られるものであるから5倍の差があるということである。
さあいかがでしたでしょうか?
実際にはこうはならないですがなかなか参考になる考え方ではないでしょうか?
思いついたので書き記してみました。
これ使える!と思っていただければ幸いです!