外的報酬はつくれるか
〈外的報酬は、作れる〉
==外的報酬の作り方==
ところで、アドラー心理学における、他人と自分との区別があるのは、ご存知だろう。
しかし、この場合の外的報酬というのは、他人の仕事であるから、自分の仕事ではないことから、これは,着手するべき問題ではないと、結論づけられるだろう。
しかし、考えてみよう。
ある分野において、外的報酬なるものは、作れないか??と・・・・
そして、作れる分野があるということを暗に、意味している。(前文は・・・)
〈外的報酬が作れる部門〉
さて、外的報酬とは、地位・名誉・役職・といった、他人が用意した報酬のことを一般に指す。しかし、どうだろう。
他人が作らなければ、果たして、外的報酬はないのだろうかと・・・・。
しかし、この例外があるということをここでいわなければならないだろう。
すなわち、外的報酬は、作れるということだ。
その分野は、このようなものである。
①理系の計算分野
②詰将棋
③格言
④幾何学
⑤英単語
⑥ピアノ演奏
こうしたものが、なぜ、外的報酬として、作りだせ、なぜ、それは内的報酬と言わないのか??
ここでは、それを考えていこうと思う。
「なぜ、外的報酬であって内的報酬ではないのか?」
この答えを言うと、“知識や、計算には、終わりがある、つまり、ある条件すなわち、そもそも、1番成果をあげ、1番できる者さえ、終わりを迎えられさえできない分野で、かつ、一見して、終わりが用意されている,条件の元、一見して終わりが与えられている(事実それが、終わりであるようなことが実際にある)ことを、ヒントに、外的報酬なるものを作ることができる”という意味だ。
簡単に説明すると“そもそも、誰がみても、それは、外的(他者からみれば)に、認めざる負えないことが、作れる”(外的報酬は作れる)ということだ。
この外的報酬の作り方は、条件がやや厳しい。
その条件とは・・・・
①いちばんの権威でさえ、終わりを向けていない分野
②他人(外的なる者)が、認めざる負えない分野
「逆に認めないと、その他人が、おかしい」
この条件がある分野でなければならない。
これは、以前説明したTO型『(反射した光が返ってくる)、物質的なこと、対称性があること、証明が容易いこと(できていることが、判断しやすい分野)、一見した終わりがあること』である。
〈記憶力、理解力を鍛えるもの〉
記憶力
①社会
②地学・生物
③英単語
④数学
⑤化学
理解力
①格言
②詰将棋
③算数
④物理
〈外的報酬を作ってどうするのか??〉
外的報酬は、作れる、ということだったが、作ってどうするのか??
その答えは、“すべての引っ掛け問題や、悪質な意図を持った否定、に動じす、冷静に違うことが、わかり、自信を持って断固、大胆に否定できる”ということだ。
ときにひとは、間違ったり、誤ったりすることがある。
しかしひとというのは、“自分の非を認めたがらない”、“自分の過ちを許して欲しい”、“自分は、間違っていないと思いたい”、“自分は、正しいことをしている”と、思いたがるものであり、科学者でもなければ、正しいことをしようという気さえない者もいる。
この非を認めない等の、ことは、しばしば、人を傷つけるし、嫌な気分にさせるものだ。
そこで、登場するのが、外的報酬を作るということなのである。
外的報酬を、作っておけば、対人対策にもなるし、何せ、正しいことを相手が、認めなくとも良いようになる、というわけだ。
このことは、先ほど、の条件つまり“一番の権威者でさえ、終わりを迎えていない”ということにも、対応できる。
なぜなら、いちばんの権威者でさえ、できてないことがあり、発見してない事実があるとしたら、誰が、それを発見するのか、というと、外的報酬を作った者だけが、強く主張でき、なおかつ、正しいのだということだ。
これは、決して、悪いことではなく,まして、おかしいことではないし、ただの権威でもない。ここで、わかりやすいゲーテの格言を添えておきたい。
“誠実な者よ。正しいことを行うということであって、世の中に、正しいことが、行われているかは、気にしなくていい”
このことがいえる。
ガリレオや、ニュートン、アインシュタインでさえ、こうしたことが、実際あったのであるから、この威力は、凄まじいものがあるということだ。
だから、権威や,他人のわけわからんことに対抗するためにも、この外的報酬作りは、しておいた方が良いだろう。