アイヌ語仮名における【ひらがな】を使用した表記について
5月10日は五十音図・あいうえおの日です。
今回はアイヌ語における“ひらがな”表記について取り上げます。
現在のアイヌ語の文字はカタカナあるいはラテン文字=ローマ字が主流で、地域で語彙が異なる理由で表語文字である漢字との混ぜ書き―もう一つの正書法であるラテン文字表記の場合も漢字と混ぜ書きが見られる―を主に使用するのですが、稀に外来語・固有名詞表記にひらがなが用いられる場合があります。
トップ画像における“港”を意味するトマリ《⚓》のアクセントは〈トまリ〉と語中にアクセントが来る方言が多いのですが、八雲方言では〈トマ𛃶〉と語末にアクセントが来る傾向が多いです。
アイヌ語強アクセントを示すひらがな
アイヌ語は江戸時代頃からカタカナをベースにした文字体系が作成されたのですが、20世紀中頃に言語学者の知里真志保博士が日本語の基幹文字であるひらがな及び変体仮名を取り入れ、彼の著書による強アクセントを示すために採用されました。
和田研細丸ゴシックシリーズでは、変体仮名と半濁点(合成可能)による合成に対応しています。
変体仮名は志由来のSI-5《𛁈》, 遍由来のHE-4《𛂶》, 里由来のRI-6《𛃶》の3種及び半濁点付きHE-4《𛂶゚》が採用され、日本語や沖縄語と異なりカタカナが基幹字母となっているアイヌ語のアクセント表記用字母としてひらがなが取り入れられ、変体仮名はひらがな字母《し, へ, り》との混同を防ぐために取り入れられました。
アイヌ語表記用変体仮名は昭和28年に日本常民文化研究所・刊『分類アイヌ語辞典⑴植物篇』で実際に使用されましたが、続編の『〃⑵動物篇』以降は通常のひらがな《し, へ, り》に変更されました。
アイヌ語現行正書法に対応するひらがな表記も取り上げます。
方言・外来語表記におけるウィに対応する《ゐ➡うぃ》は推測表記です。
通常のカタカナとの混ぜ書きは〈あア〉[ˈa.ʔa]や〈アあ〉[a.ˈʔa]という風になります。
á・í・ú・é・ó【あ, い, う, え, お】[ˈa ア, ˈi イ, ˈu ウ, ˈe エ, ˈo オ]
ká・kí・kú・ké・kó【か, き, く, け, こ】[ˈka カ, ˈki キ, ˈku ク, ˈke ケ, ˈko コ]
sá・sí・sú・sé・só【さ, 𛁈➡し, す, せ, そ】[ˈsa サ, ˈɕi シ, ˈsu ス, ˈse セ, ˈso ソ]
tá・tú・té・tó【た, つ゚・と゚➡とぅ, て, と】[ˈta タ, ˈtu トゥ, ˈte テ, ˈto ト]
cá・cí・cú・cé・có【ちゃ, ち, ちゅ, ちぇ, ちょ】[ˈʨa チャ, ˈʨi チ, ˈʨu チュ, ˈʨe チェ, ˈʨo チョ]
ná・ní・nú・né・nó【な, に, ぬ, ね, の】[ˈna ナ, ˈni ニ, ˈnu ヌ, ˈne ネ, ˈno ノ]
há・hí・hú・hé・hó【は, ひ, ふ, 𛂶➡へ, ほ】[ˈha ハ, ˈhi ヒ, ˈhu フ, ˈhe ヘ, ˈho ホ]
pá・pí・pú・pé・pó【ぱ, ぴ, ぷ, 𛂶゚➡ぺ, ぽ】[ˈpa パ, ˈpi ピ, ˈpu プ, ˈpe ペ, ˈpo ポ]
má・mí・mú・mé・mó【ま, み, む, め, も】[ˈma マ, ˈmi ミ, ˈmu ム, ˈme メ, ˈmo モ]
yá・yú・yé・yó【や, ゆ, いぇ{𛀁}, よ】[ˈja ヤ, ˈju ユ, ˈje イェ, ˈjo ヨ]
rá・rí・rú・ré・ró【ら, 𛃶➡り, る, れ, ろ】[ˈɾa ラ, ˈɾi リ, ˈɾu ル, ˈɾe レ, ˈɾo ロ]
wá・wí・wé・wó【わ, ゐ➡うぃ, ゑ➡うぇ, を➡うぉ】[ˈwa ワ, ˈwi ウィ, ˈwe ウェ, ˈwo ウォ]
ák・ík・úk・ék・ók【あㇰ, いㇰ, うㇰ, えㇰ, おㇰ】[ˈak アㇰ, ˈik イㇰ, ˈuk ウㇰ, ˈek エㇰ, ˈok オㇰ]
ás・ís・ús・és・ós【あㇱ, いㇱ, うㇱ, えㇱ, おㇱ】[ˈaɕ~ˈas アㇱ, ˈiɕ イㇱ, ˈuɕ~ˈus ウㇱ, ˈeɕ エㇱ, ˈoɕ~ˈos オㇱ]
át・ít・út・ét・ót【あッ, いッ, うッ, えッ, おッ】[ˈat アッ, ˈit イッ, ˈut ウッ, ˈet エッ, ˈot オッ]
án・ín・ún・én・ón【あン, いン, うン, えン, おン】[ˈan アン, ˈin イン, ˈun ウン, ˈen エン, ˈon オン]
áh・íh・úh・éh・óh【あㇵ, いㇶ, うㇷ, えㇸ, おㇹ】[ˈax アㇵ, ˈiç イㇶ, ˈux ウㇷ, ˈex エㇸ, ˈox オㇹ]
ám・ím・úm・ém・óm【あㇺ, いㇺ, うㇺ, えㇺ, おㇺ】[ˈam アㇺ, ˈim イㇺ, ˈum ウㇺ, ˈem エㇺ, ˈom オㇺ]
áy・úy・éy・óy【あイ, うイ, えイ, おイ】[ˈaj アイ, ˈuj ウイ, ˈej エイ, ˈoj オイ]
ár・ír・úr・ér・ór【あㇻ, いㇼ, うㇽ, えㇾ, おㇿ】[ˈaɾ アㇻ, ˈiɾ イㇼ, ˈuɾ ウㇽ, ˈeɾ エㇾ, ˈoɾ オㇹ]
áw・íw・éw・ów【あウ, いウ, えウ, おウ】[ˈaw アウ, ˈiw イウ, ˈew エウ, ˈow オウ]
方言音及び外来語音は gá《が》[ˈɡa ガ], zí《𛁈゙➡じ》[ˈʥi ジ], dú《どぅ》[ˈdu ドゥ], bé《𛂶゙➡べ》[ˈbe ベ], shó《𛁈ょ➡しょ》[ˈɕo ショ], rí《𛃶ー➡りー》[ˈɾiː リー]―という風に示します。
21世紀以降のアイヌ語ひらがな
公益財団法人アイヌ民族文化財団のサイトでPDFファイルがあるアイヌ語教材テキストでは、『千歳アイヌ語初級』に記載されている〈あんぱん〉「アンパン」のように日本語由来の外来語を“ひらがな”で表記するケースが見られ、アイヌ語本来のローマ字表記が記載されていない場合もあります。
アイヌ民族文化財団による補助教材の『アイヌ語かるた』では、一時期のバージョンではひらがな表記によるアイヌ語が使用され、現在はカタカナ表記に復帰しています。
小書き平仮名つ《っ》を語末[-t]音及び促音表記に用いるなど、現在のアイヌ語正書法であるアコㇿイタㇰ式カタカナ―平成6年に北海道ウタリ協会が書籍『アコㇿ イタㇰ』の表記ために制定―をひらがなに置き換えたものになっています。
アイヌ語だけでなく英語などの外国語の子音のみの表記に用いられることから、ユニコードコンソーシアムに小書き仮名文字の大量申請が行われたこともありました。
にしき的フォントや和田研フォントシリーズでアイヌ語用ひらがな小文字が使用可能で、半濁点付きひらがな小文字は外字が含まれていないため、合成で示します。
画像はにしき的フォントに含まれる小書き仮名文字です。
和田研フォントではコードポイントはユニコードの仮名文字拡張-Aの空白箇所を埋めて配置していますが、独自の領域に配置されているにしき的フォントのものを示しています。
対となるカタカナ小文字も全角ギュメで囲んで併記しています。
小書き平仮名く【U+F7C01《ㇰ》】[-k]
小書き平仮名し【U+F7C04《ㇱ》】[-ɕ]
小書き平仮名す【U+F7C05《ㇲ》】[-s] - 英語の子音のみの[θ]を示す発音ガナとしても使用。
小書き平仮名と【U+F7C0B《ㇳ》】[-t]
小書き平仮名ぬ【U+F7C0E《ㇴ》】[-n]
小書き平仮名は【U+F7C11《ㇵ》】[-ⓐx]
小書き平仮名ひ【U+F7C12《ㇶ》】[-ⓘç]
小書き平仮名ふ【U+F7C13《ㇷ》】[-ⓤx] - 英語の子音のみの[f]を示す発音ガナとしても使用。
小書き平仮名へ【U+F7C14《ㇸ》】[-ⓔx]
小書き平仮名ほ【U+F7C15《ㇹ》】[-ⓞx]
小書き平仮名む【U+F7C18《ㇺ》】[-m]
小書き平仮名ら【U+F7C1B《ㇻ》】[-ⓐɾ]
小書き平仮名り【U+F7C1C《ㇼ》】[-ⓘɾ]
小書き平仮名る【U+F7C1D《ㇽ》】[-ⓤɾ] - 英語の子音のみの[l]を示す発音ガナとしても使用。
小書き平仮名れ【U+F7C1E《ㇾ》】[-ⓔɾ]
小書き平仮名ろ【U+F7C1F《ㇿ》】[-ⓞɾ]
小書き平仮名ん【U+F7C23《𛅧》】[-n] - 稀に見られる。主に日本語の方言の鼻母音や前鼻音の表記に用いられる。