2022/12/21 BGM: 高野寛 "See You Again"
今日は休みだった。朝、イオンに行きそこで夏目漱石の随筆「思い出す事など」を読む。病身の漱石が死を意識した時のことを綴った内容のものなのだけれど、私自身もまた自分の死のことをいずれ考えなければならないと思い身につまされる。だが漱石の筆致は冷徹なもので、どこにも取り乱したところはない。間違いなく明治を代表する知性の1人だった漱石のこの冷静さから学ぶところは多い。最近読んだ青山真治の日記もこの随筆のテイストと似ていたように思ったが、こればかりは読み返して慎重に吟味する必要がある(私はこうして時折想像が「暴走」してしまう)。
昼、断酒会の昼例会に参加する。そこで1人、新しい参加者の方が来られているのを知る。その方と私たちが話し込むことになった。その方は酒に未だ呑まれているので、僭越な口ぶりになってしまうがきっと断酒した後の自分をまったくイメージできないに違いない。私もまた断酒する前は、酒が「お守り」「生きがい」だったのでその酒を抜いてしまった後の生活がぜんぜんイメージできなかった。酒に変わって「心のスキマ」を埋めてくれる何かが必要だ、ということを強く感じさせられる。そして酒がない自分とこそ向き合うこと、そんな自分を愛することもまた大事だろう。酒に呑まれている人はすでに自分をボロクソにディスっているのだと、私の経験から思う。そこから脱しなければ。
ああ、私自身の「心のスキマ」のことを考えさせられる。私は早稲田まで行った。確実にある意味では(あくまで「ある意味では」だが)成功していたわけだ。だけどちっとも楽しくなかった。その後人生を諦めて酒に溺れた……今はわかる。自分の「心のスキマ」が今埋められているのはそんな早稲田がどうこうとか関係なく親身に接して下さる方々が確実におられるから。その方々に支えられて私自身が自由に、気ままに自分の思考を育ててこうして書き記すことができるからだ……遠回りしたけれどやっと自分はここまで来ることができた。その僥倖を今一度確認し、もう私には酒は必要ないと改めて思う。もう自分には酒は要らない。
夜、再び断酒会に参加する。そこで体験談を話す。初めて断酒会に足を踏み入れたのが7年ほど前。こんな会に何の価値があるんだろう、と半信半疑だったことを思い出す。自分にとってこの会は一種の「塾」「道場」だ。この会があったから私は常に自分を見つめ直して、強めること/鍛えることができたと言える。ああ、人は変わる。断酒会の会長も私のことを変わったと言って下さった。来年はどんな年になるのだろう。今言えることは、「1日断酒」を凡事徹底の志を以て貫き通し、それを未来に繋げていく意志こそが大事だ、ということだ。今日1日酒抜きで生きてこれたことのありがたさを噛み締めたい。あれほど止めたかったお酒、あれほど呑まれていたお酒を止められているのだから。
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