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2022/03/13

今日は休みだった。イオンに行き、ボーズ・オブ・カナダを聴きながら保坂和志『プレーンソング』を読み始める。不思議なことに、保坂和志の書く文章はすんなり頭に入ってきた。今この瞬間に読める文章はこれだけだ、とさえ思った。永井玲衣『水中の哲学者たち』といい、やはり自分は哲学的なことを考えている時間が満たされているように思う。その後図書館に行きいろいろ本を借りる。今書いている小説『青い車』のためのソースになればと思ったのだった。問題はそうやって心をこめて書いている小説が面白くないかもしれない、ということだが……。

時折本から離れて、「どうして今日は今日なんだろう」「今日と同じ日が来ないのはなぜなんだろう」と思ったりもした。こういう疑問は「狙って」浮かんでくるものではない。英語的な言い回しになるが、「それ」が私に考えさせる。くどいが、英語をしゃべる時だって「それ」が私にしゃべらせている。自分の中のもうひとりの人格、もしくは本能……結局そういった「それ」というか、もうひとりの自分をどう操るかが大事なのかなと思った。小説だって、「それ」が私をして書かせている。書く意味なんて考えない。「それ」を飼いならすためだ。

保坂和志『プレーンソング』を結局読み終える。完成されたデビュー作であると思った。瑞々しい作品であり、ここからなにか新しいことが始まるワクワク感がある(実際に保坂はその後の作品で「新しいこと」を文学の世界に持ち込んだのだった)。横につながる人間関係の面白さを感じた。会社や社会の縦関係ではなく、気ままに暮らす人々のつながり。社会からはみ出してしまった人たちのゆるいつながりが織り成す世界の豊かさについて考えさせられた。私もある意味では、この保坂の小説のような世界を生きていると思った。だが、私はまた違うやり方で書く。

clubhouseでとある女性の悩み事が語られているのを聞く。その女性は完璧な英語を話そうとして悩んでいるように受け取れた。私の英語はまったくもって、金輪際完璧ではありえない。ベリー・ブロークン・イングリッシュだ。でも、シェアしたいことがあるならためらわないでシェアする。完璧なものを差し出すより、むしろ相手と共同作業で完璧なものを作り上げることを目指す。もちろんビジネスの場となると話は別だけれど、レッスンの場ならそうしてハートに英語をしゃべらせることが大事なのではないかと思った。レット・イット・ゴーの精神を大事にしたい。

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