2022/10/06

今日はノーベル文学賞の発表があった。アニー・エルノーという作家に決まったようで、春樹ファンとしては残念ではあった。だが、優れた作家がこうして脚光を浴びる機会に立ち会えたのはめでたいことなのでこのアニー・エルノーという作家の本を読みたくなった(邦訳も何冊か出ているようだ)。と同時に、こうした作家を知らずに来てしまった自分の不明を恥じさせられたりもしたのだった。改めて思うが、優れた作家はこの世に数多といる。現在まさに作品を書き続け、世に文学の存在意義を問い続けている書き手たちがいるということに、厳粛な気持ちになる。

春樹は本の中で、このノーベル文学賞に対して許容も批判も明確に表明していない。いや、与えられるのなら受け取るという程度の対応はするのだろう。だが、少なくとも公の場では賞には関心はないことを表明し、淡々と対応しているようだ。もちろん作家は根っからの嘘つきであることはわかっているが、私はこの坦々とした態度は春樹の本心のようにも思う。作家は作品が大々的に評価され読まれることがすべてであり、今まさに多くの読者に読まれているという厳然たる事実がある。それ以上のものを春樹が望むだろうか、と思ってしまうのだ(いや春樹はそういう「がめつい」作家だよ、と言われてしまうかもしれないが)。

今日はなんてことのない普通の日だった。こういう平穏無事な日は神からの贈り物のようにも思われる。そんな一日を祝福したくなりドナルド・フェイゲンを聴く。『ナイトフライ』や『カマキリアド』を聴き、読みかけていた村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』を読むも眠くなってくる。仕事の合間の休憩時間、眼前に広がっていた光景もまたピースフルなものであり、私もつい幸せな気持ちになる。この職場に、あるいはこの町にたくさんの思い出がある。1日1日の思い出がミルフィーユのように重なり合い、私に馴染み深い空気を作り出している。

そして思ったのだった。自分自身はここまで生きてきて、賞や栄誉とは無縁だったけれどただ自分を高めたい、成長させたいと思ってやってきた。自画自賛と言われればそれまでだが私はそうした努力の帰結として1年以上日本語と英語で日記を書き、ずいぶん英語で表現することの楽しさを味わってきた。これからも書くことは続けるだろう。こうして書き続け、自分自身の内奥を掘り下げて自分を高め続ける。春樹が目指していることだって(いや、私とてこう書くことがおこがましいことはわかっているが)、結局は自分自身に挑み、自分を高め続けることではないだろうか。だとしたら、ノーベル文学賞がどうこうという問題はあくまで副次的なものにすぎないのではないか。

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