豊田徹也『アンダーカレント』評
極めて寡作,しかし書けば珠玉の中・短編を生み出す不思議な作家である。一話完結の短編や,一冊の中の短編同士が緩く繋がる連作短編の方が多いのだが(多いと言っても数作なのだけれども),自分はこの中編『アンダーカレント』が一番好きだ。
……なんのためにここに来たのか自分でもよくわからないんですよ
(P.291)
主要登場人物たちが殆ど自分の心中を語ることのない話で,読者は(作中人物たちも)多くの場面でキャラクターの心中を,すこしの仕草や言葉の端,声(フォント)の大きさから推し量るしかない。トリックスターとして社会辺縁にある人物たちがたまに出てきて,謎解きのように本人から語られることのなかった心中を解説する場面が適宜挿入されるが,それすら真実を言い当てているのかどうかの保証は与えられない。また,登場人物が己の心中を珍しく語った時ですら「自分でもわからない」ということを繰り返すのである。
ストーリーもまさに『人の心はわからない』あるいは『人をわかるってどういうことですか?(P.95)』ということを追って進んでいく作品なので,上記のような書き方は当然といえば当然なのだが,実質的なデビュー作であるにもかかわらずこのような極めて技巧的な作風(この他にも,伏線の張り方も秀逸である)は,この作家の他の作品でも貫かれている特徴のひとつだ。
生きているそれぞれの人間に,そのひとの生きてきた経歴が底流(アンダーカレント)のように埋もれていて,まさに伏流水が湧水となるように/または地下水層が大規模に滑って地崩れを引き起こすようにふとした機会に表出してくる。これって,私たちの人生でも一生に何度か経験することではないでしょうか?私にはある。そのような稀有な瞬間を見事に切り取ってみせたこの作品は,そのゆえにこそ間違いのない傑作なのだ。
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(豊田徹也の新作が読みたくて悶えながら今これを書いている)