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卓越を横目に、独立する

 無鉄砲というものとは無縁で、子どものときからさほど損をすることもなく生きてきた。

 親の言いつけを守り、教師の顔色を窺い、上司の印を貰う。長いものには喜んで巻かれ、他人の紡いだ繭に包まる。

 なんとか、なんとか羽織ってきた十二単とはうらはらに、自ら繕った襦袢は悲しいほどに薄く、そのうちの痩躯には目も当てられない。


 ひとり、ぽつんと。どこかに放り出されてしまった。それからは、近しい年ごろの学生に混ざりゼミナールの真似事をして、蕩々と、あてもなく過ごしている。昼餐には霞をひとつまみ。

 ここ最近、その学生らの実直さが嫌に目につく。私が四半世紀のあいだ持ちえなかった無鉄砲さと、類まれなる勘の鋭さは、すでに許容の範疇を超えていて物怖じするばかりである。

 落伍者にならぬよう隊列に必死で捕まり続けていたのみで、先導者を夢見ることさえもしなかった私には、ひどく眩しく、到底手の届かないものに思えた。ならず者への恐れさえ、しばしば憧れへと書き換えられ、既に侮りがたい。

 病床なのかも怠惰の藁敷きなのかも分からない、自室の布団に横たわっているうちに、彼らは多くのことを成してしまうのだろう。寝床は、胎内のようにあたたかく、はなれがたい。


 いざ卓越を目の前にすると、畏れというか、情けなさというか、ルサンチマンにも似たぐじゅぐじゅとした思いが渦巻いてしまう。卓越というものはある種の逸脱のようで、あやまって矯めるばかりか、諦めてモノのように扱うのが世の常だ。

 しかしながら、過度なキャラクタライズは、声を奪ってしまう。少し前に流行ったテレビ番組の演出に相当な違和感を覚えたことを思い出した。価値を転倒させたところで、彼らの強さも弱さも消えず、われわれの弱さのみが残るはずなのに。ひどく見下したような態度で、勝手に常軌を描いては、勝手につまみ出して笑いものににする。


 どうにも私も、そのような醜い感情を抱きそうになる。大きな渦に飲み込まれてそのまま、ことばを交わすことすら拒むようでは、遅かれ早かれ誰の声も聞こえなくなってしまうだろう。

 私がこれまで縋ってきたものの多くは外在化されたもので、良くも悪くも責任を放って生き永らえてきた。相手というものを確定させぬまま、ただ声を捉えることは、とてもこわい。それでも、稚拙な檻に閉じ込めておくよりはずっとよい。

 知らない、はこわいけれど。知らないものごとを憎まぬように。二本の足で独り立って、地道に識見を広げていくほかない。頼りない骨組みにたしかな肉を付けていくように。

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