「コメントサブスク」というサービスについて。
「コメントサブスク」というサービスを利用している。自分の作品にコメントをくれるサービスだ。
趣味でweb小説を書いている訳だが、人と関わる時間が減った気がする。
それまで、私の趣味と言えば、自転車仲間と遠出したり、居酒屋巡りだったりした。当然、人との関わり合いがある。自転車では目的地まで黙々とこっが、いつもはパーツやルートの話で盛り上がる。大会に出ない程度の緩さが好きだ。居酒屋では、知らない人や大将と話をしたりする。寡黙に一人で飲み食いする人ではないのだ。
体調を崩して、外に出られない日々を過ごした。コロナも相まって増々、外出をしなくなった。そんなときに、web小説を書き始めた。本を読むことが好きだったのと、あれこれ考えるのが好きだったのが良かったのか、落書き程度から始めた小説は100話を超え、幾人もの方が読んでくれた。今は、その人達のためもあって、2作目も書いている。
しかし、私の中で問題が生じる。前述したが、人と関わる時間が少なくなった。少なくなったとしたが、営業マンであるので、楽しいとかを置いて無くなりはしない。サークルも参加する回数が減った。
仕事や、これまでの趣味での関わり合いは分かりやすかったが、web小説では分かりにくい。私の作品を読んでくれた人は、集計サービスの数値とブックマークをしてくれている人の数でしか分からない。そして、その方々は感想を書いてはいない。
翻って、自分が読んでよかったと思った小説の作者に、webでもリアルな書籍でも、感想の書き込みや手紙を差し出したことは無い。それを考えると、感想を貰うと言う事は、ハードルが高いのだろう。
web小説を書く。読んでくれている人はいる。しかし、数値だけしか見る事が出来ていない。ここに、関わり合いが無いとは言わないが、希薄さを感じる。
一度、始めて合っているのか、1年以上書き続けている。読んでいる人は少しすつだが増えている様だが、それに比例し関わり合いの希薄さは大きくなっている。そこに現れたのが「コメントサブスク」だ。
このサービスはお金を払うと、定期的にコメントをくれるという。加入してコメントが届いたときは嬉しかった。「X」上でも、嬉しいという言葉が舞っている。一方で、「コメントを金で買う虚しさ」を主張する言葉も舞っている。2回目のコメントを貰った時、私も、そう思ってしまった。
このサービスにはコメントしてくれた人(読者という、プロだそうだ)に、返信が出来るシステムがある。なんと、文字数制限が無いようなのだ。
私は、これを利用して「ありがとう」以上に「感想」にたいする「感想」をかき込んでいる。しかし、あちらからの返信を要求するには、金がかかるシステムだ。現状では、振った話題に答えた人がいて、次への会話が止まっててしまっている状態なのだ。
ここで気付かされるのは、このサービス提供者は「関わり合い」を求めてくる人間が一定数いて、尚且つ、それに金を掛けてもいいと思う人間が居ると言事を気付いていると言う事だ。
趣味の自転車のフレームは結構高い。居酒屋巡りをすると、勢いよく財布からお金が飛び出て行く。web小説に金を掛けてはいけない道理は無さそうに思える。しかも、ハードルの低い金額。商売上手。
私は、web小説という趣味を深化させたいと思っている。自転車でも心肺機能を高めようと思ってトレーニングしているし、新しい居酒屋の出店情報の収集は怠らない。必要であると思うときがあるなら、金を掛けて「感想」に対する「感想」を求めようと思う。しかし、今は読者というプロの「コメント」という指摘を参考にしつつ、作品の完成度を高める事に利用しようと思う。
つまりは、「コメントサブスク」が言う「モチベーションアップ」よりも、別の使い方があると言事だ。
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