音の時刻
音には、それにふさわしい時刻がある
十年以上使用した掃除機が壊れた。あの、ホースがついて本体がついてくるやつだ。なんの前触れもなく壊れた。スイッチを押しても、何の反応も示さない。昭和チックな治療を施すが無反応だった。
近年は家電など修理に出さない。買い換えた方がお得で、電気の消費量も少ない。トータルでエコなのだ。
それで買ったのが、充電式ハンディータイプの掃除機だ。部屋の隅に置いても違和感はない。なかなかお洒落である。一々、押し入れから出す必要も、コードを気にする必要もないのいい。音も前の物より静かだ。何よりも、長いホースにあたる部分を取り外すと、コロコロのように取り回しが良くなるのだ。気に入った。
そう言いう訳で、帰宅して気になった部屋の隅の埃を吸引してみる。夜だが大きな音はしない。確認済みだ。充電式とはいうものの、ちゃんと仕事をしてくれて綺麗になった。気を良くした私は、他の場所も吸引してみた。
しかし、何か腑に落ちないものがある。スタンドにセットするときに分かったのだが、その感覚の原因は、こいつの時刻ではなかったからだ。
物には、それにふさわしい時刻がある。こいつの場合は、「休みの日の朝」だ。決して、静かだからと言って平日の20時に使用するものではない。
目覚ましの音は朝。洗濯機の音は休みの日の朝だ。特別に、独り者の場合は夜の19時まで許可されている。小気味良いまな板で野菜を切る音は夕方だ。
時期というものある。例えば除夜の鐘。これは年越しだ。サライもそうだ。夏は蝉だし、野球中継は夏の晩だ。これは、ウチの親父とワンセットになっている。
今、部屋の隅の埃を見ている。アレを使うのは、明日の朝しかない。寝坊は出来ない訳だ。