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#10 ボーッと生きてしまっていた…

 アクセスしていただきありがとうございます。
 6月23日放送の『チコちゃんに叱られる!』(NHK)にて、永遠の五歳児チコちゃんからこのような質問が投げ掛けられました。

“『頭がいい』って何?”

 極めて漠然としながらも、意表を突くこの問いに、皆さまは何と答えるでしょうか。
 これについて、VTR内でインタビューを受けた街行く人の多くが答えていたのが、IQ(Intelligence  Quotient)、知能指数の高さを挙げていました。
 ですが、専門家としてVTR出演した立命館大学文学部心理学科教授、サトウタツヤは、知能指数が高い=頭がいい、という説に否定的です。

 元を辿れば、1905年、フランスの心理学者、アルフレッド・ビネがソルボンヌ大学の心理学研究室副室長を務めていたとき、同大学医学部出身のシモンと共に開発した、ビネ・シモン検査が最初の知能検査と言われています。
 その検査では、言葉を聞いてそれに該当する物を指差しできるか、絵の記憶力、長さや重さの比較、などの全30項目から成るテストを受け、その結果から被験者の精神年齢を測定するものでした。当時フランス政府は児童に学校教育を義務付けたものの、勉強したがらない児童が多く、その原因は彼らの行動上の問題なのか、あるいは単に知能が低いからなのか、選別する必要性に気付き、その後開発されたビネ・シモン検査によって実年齢相当の知能があるのか、あるいはその能力が実年齢に満たないのかを見極めていました。ビネ自身、自分の娘の観察から、知能は非常に複雑で多様であることをすでに理解していたのです。
 後に、ドイツの心理学者、ウィリアム・シュテルンが1912年に発表した著書のなかで、知能指数という概念を発表しました。知能指数、すなわちIQの算出方法、精神年齢÷実年齢×100という計算式がここで登場したのです。IQの一般平均値が100といわれているのは、精神年齢と実年齢が同じ場合を想定しているからだと言われています。
 このように、知能検査や知能指数という概念は、もともと児童の知能発達の遅れのある部分を見つけ、苦手分野をサポートするためにあるものであって、頭の良さや知能の限界を計るものではない、というのが、サトウの見解です。彼は自身の著書にて、研究調査の結果、知能検査を構成する項目が、時代、地域、人種、宗教などに限られた人々にとっての常識でしかないことを指摘しています。さらにIQについて「頭のよしあしの基準を確定したい、あるいは、人々の頭のよさという一つのモノサシの上に序列化してみたい、という壮大な野望の産物である。そして、捉えようとしている知能(が仮にあるとして)と、捉えられた知能はまったく別物と思ってもよいくらいのものであった。しかしそのことに気づいた人は少なく、多くの悲劇を生み出すことになったのである」と厳しい論調です。

 では、「頭がいい」とはどういうことを指しているのか。サトウは「あえて言えば」と前置きした上で、「未知の環境に適応する力」と定義しました。限られた食材を使って新しい料理を作り出す、今までになかった芸術作品を創作する、危機的状況のなかで生き延びる術を習得し実践する、等々。未だ経験したことのない環境、あるいは社会に適応していく力。それが知能である。この考え方について、先述のビネも「知能とは、さまざまな事態に自分を適応させる働きであって、いかに判断し、了解し、推理するかが知能である」と定義しているのです。

 膨大な知識を持ち合わせ、誰も答えられないような難問をいとも簡単に正解する。問題文が少し読まれただけで、即座に正しい答えを導き出す。時代の変化によって「頭がいい」という定義が曖昧になり、これらのようなことを行える人物こそが“頭がいい”と称賛する現代の風潮に、冷や水を浴びせる形となったサトウの主張。かくして頭のよさを測る最善の術ばかり思案していた私自身も、常識に根本から疑問を抱くことなく、ボーッと生きてしまっていたのでしょうか。

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 参考文献
『IQを問う 知能指数の問題と展開』 サトウタツヤ ブレーン出版
『IQってホントは何なんだ? 知能をめぐる神話と真実』 村上宣寛 日経BP社

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