#7 知性の丘に咲く一輪のボケ
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上記のタイトルは、5月4日放送の『私のバカせまい史』(フジテレビ)で特集された「クイズのおバカ枠史」の副題です。
誰も調べたことがないような“せま~い”歴史=「バカせまい史」を研究員が独自の目線で考察する当バラエティー番組にて、さらば青春の光・森田哲矢が研究員としてプレゼンしたのは、今やクイズ番組に欠かせない存在となった、珍解答を連発するいわゆる「おバカ」が、どのような経緯で誕生したのか、その歴史を振り返るという、とてもコアなテーマですが、クイズファンにはたまらない内容だったので、ここに紹介します。
まずは日本のクイズ番組の歴史を振り返るところから始まります。テレビの本放送が始まる7年前の1946年にスタートした『話の泉』(NHKラジオ)が日本で最初のクイズ番組とされています。当時はまだ“クイズ”という言葉はなく、“あてもの”と呼ばれていたクイズ黎明期に誕生したその番組は、リスナーから寄せられた問題に、解答者が制限時間10秒以内に答える、というものでした。問題に答える解答者は文化人を中心に構成されており、その中には無声映画の弁士で活躍し、「彼氏」など現在でも使われている言葉を生み出したことで知られ、後に俳優や司会者としてテレビでも活躍した徳川夢声や、童謡『ちいさい秋みつけた』などの作詞で知られる詩人のサトウハチローも名を連ねていました。この時、まだ“おバカ”はいませんでした。厳密に言えば、“不正解を出し続ける役割を担った人”はまだいませんでした。
歴史が動いたのは1969年、伝説的番組『クイズ タイムショック』(テレビ朝日)に、祖父はロシア人で、父はロシア文学で活躍した小説家、大泉黒石という、文学座の俳優、大泉滉(おおいずみ あきら)が登場した、この時です。一分間に12問出題のうち正解数が3問以下だったため、自らの座る椅子が回転しました。
そのインパクトが大きかったのか、大泉はその後放送700回目の1982年、800回目の1984年、そして最終回の1986年の計三回出演し、すべてで椅子を回すという、ある意味快挙を成し遂げたのです。ですが、森田研究員曰く、これはあくまでも四回挑戦して四回回ったにすぎず、これはレギュラー出演する「おバカ」ではないとのこと。
ではレギュラーとしての「おバカ」誕生はいつか。1976年スタートの『クイズダービー』(TBS)にその動きが出ます。解答者を競走馬にみたて、その実力によって変動する倍率を参考に、ゲストが正解している人に賭け、持ち点を増やしていく、画期的なシステムのクイズ番組です。
その五枠ある解答席のなかに、レギュラー出演するおバカ枠が二つ存在していました。一つは“教授”の愛称で親しまれたフランス文学専攻の学習院大学教授、篠沢秀夫や、ビートたけしの兄で明治大学教授の工学博士、北野大に代表される、頭が良すぎるがゆえに考えすぎて正解が出せない、頭の固いおバカ枠。もう一つが、当時19歳の井森美幸、ロサンゼルス五輪に出場した元新体操選手、山﨑浩子などがその席に座った大穴おバカ枠です。正答率こそ低いものの、当たれば設定された高倍率により持ち点を大きく増やせる魅力があります。さらに、番組開始から半年間だけ存在した、幻のおバカ枠に、当時26歳のWBC(世界ライト級)の現役チャンピオン、ガッツ石松がレギュラー出演していました。このガッツ石松こそが、『平成教育委員会』(フジテレビ)の渡嘉敷勝男、『くりぃむクイズ ミラクル9』(テレビ朝日)の具志堅用高へと続く「ボクサーおバカ枠」確立の第一人者となったのです。
そこから80年代のクイズ番組はおバカ枠必須の時代に入ります。『なるほど! ザ・ワールド』(1981~96年)のアグネス・チャン、『クイズ! 年の差なんて』(1988~94年)の森口博子、『所さんのただものではない!』(1985~91年)のオスマン・サンコンと、フジテレビに眠る貴重映像がこれでもかと流れ、おバカ枠の拡大と多様性に富んだキャスティングが浸透していく様子が伺えます。
その過程を経て90年代以降、前述の井森美幸や森口博子、岡本夏生らが開拓者となり、現在は『呼び出し先生タナカ』(フジテレビ)で活躍する村重杏奈に代表される「アイドルおバカ」、『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!』(1988~96年)の野沢直子、『マジカル頭脳パワー!』(1990~99年、共に日本テレビ)の間寛平などの「人気芸人おバカ」、スポーツ選手全般を指す「アスリートおバカ」、外国人タレントが該当する「黒船おバカ」の四つに分類されるようになります。
こうしておバカ枠の勢いが活気づくなか、2007年頃、『クイズ! ヘキサゴンⅡ』(2005~11年 フジテレビ)がこれまでのおバカ枠の概念を大きく変えることとなります。クイズ番組において、これまで脇役でしかなかったおバカ枠のタレントをメインに取り上げることで、彼らの珍解答が注目され、番組内でユニットを結成しCDデビュー、アイドルのような人気を誇る空前のおバカキャラブームが起こったのです。
以降、数多くのおバカと呼ばれたタレントが登場してきましたが、その多くは短命に終わっており、『ヘキサゴン』に匹敵するおバカブームは起きていません。その理由について森田研究員は「おバカ解答は難しい。狙ってできるものではない」からと分析し、「おバカ枠には天才しか座れない」という結論に至ります。
ただ勉強ができない、あるいは問題に正解する知識を持ち合わせていないだけなら、いくらでも不正解を出すことはできます。しかし、おバカ枠に求められているものがいつしか大喜利的なお笑い要素をより多く含むようになった現在のクイズ番組では、間違った解答で笑いが起きるという、絶妙なバランスを保った解答を出すことはおろか、出し続けることは、難問に正解する以上に至難の業と言うべきかもしれません。
かつて『ヘキサゴン』で人気絶頂期を迎えたつるの剛士は吉田豪とのインタビューにて「これは一過性のものだからすぐ去っていく」と当時の過熱したブームを冷静に見ていた側面を明かしています。おバカ枠のタレントを見て「すごく明るくなりました」と、勉強ができない劣等感を抱えて悩んだ人たちのネットへの書き込みを見て「意外に人助けができる」と思った一方、自らがバカと呼ばれ続けることで「自分の子供に迷惑をかける」という危機感を覚え、常識を勉強するようになった、とも語っています。
その後つるのは、2022年に通信制の短期大学を卒業、その年の3月に幼稚園教諭二種免許を取得、12月に保育士試験に合格、さらに2023年4月には、東京未来大学こども心理学部の通信教育課程に、3年生として編入学したことを、いずれも自身のインスタグラムで報告しています。
そのつるのと同じく『ヘキサゴン』でおバカ枠タレントとしてブレークを果たしたスザンヌも、2022年、かつて在籍していた高校を通信教育で卒業、その年の4月から日本経済大学経営学部芸創プロデュース学科ファッションビジネスコースに入学し、芸能活動と小学生の息子の育児の両立に加え、学業に取り組む一児の母親です。
当時小学二年生だった息子の「どうして勉強しなきゃいけないの」という質問に、学生時代に勉強していなかったため、答えられなかったスザンヌ。その後仕事の縁で中退した高校に再入学、卒業後には大学生デビューも果たします。オンライン授業によってゆとりあるスケジュールを組めるようになったことで、「息子に勉強する姿を見せてあげられる。タレント業は苦労している部分を見せられない職業で、子どもには遊んでいるように見えるらしく。でも頑張って学んでいる姿を見て『宿題も大変だけれど、頑張れば自分のためになるよ』とわかってくれている」と自らが学んでよかったことをあげています。
どちらのケースも、近年ニュースで取り上げられている、学び直し、いわゆる“リスキリング”と呼ばれるものですが、二人がこのような道を辿ったのは、自ら率先して学ぶことで自分自身を変化させたかったからではないでしょうか。いつまでも同じ場所にとどまることより、新しい環境に身を置いて変わってみたい、という願望が彼らをおバカタレントから“卒業”させたのではないでしょうか。
華やかに咲く“一輪のボケ”もいずれは散ってしまうおバカ枠と、限られた期間の中で、ファンに成長する姿を見せ、いつかはその活動に終わりを迎えるアイドル。「諸行無常」というキーワードが共通して存在する二つの概念が融合することで、親和性の高さからくる化学変化がおこり、『ヘキサゴン』の爆発的ブームが起きたとも考えられます。
現在おバカ枠を担っているとされるタレントたちは、おバカ枠にカテゴライズされたことで新たな個性を得た一方、いつまでもおバカ呼ばわりされることにどこか苦悩している様子も伺えます。五年後、あるいは十年後、彼らはどこへ向かっているのでしょうか。
なお番組内では、プレゼンの締めに「すべては独自の考察である」という字幕の下に、「Special Thanks」と銘打ち、企画実現のために協力を仰いだ関係各所に敬意を表しています。その中に、映像提供の「タイムショック」と「クイズダービー」を差し置いて、『QUIZ JAPAN』編集・発行人で、発行元でもある株式会社セブンデイズウォー代表取締役、一般社団法人日本クイズ協会理事、大門弘樹の名前が先頭に載ったことにより、このおバカ枠史の研究発表の信頼度が格段に上がったことは、間違いないと言えそうです。
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参考文献・記事
『クイズ文化の社会学』石田佐恵子 小川博 編 世界思想社
『QUIZ JAPAN vol.11』セブンデイズウォー
『スザンヌさんが「もう一度、真剣に勉強してみよう!』と思ったきっかけ』STORY (magacol) 2023年2月16日
また、ORICON NEWS、中日新聞Web、ハフポスト日本版の記事、日本経済大学のHPを参考にしました。