見出し画像

卒業と成績証明書を取りに行く

10月、卒業した大学の卒業証明と成績証明を申請した。その後1週間ほどで発行完了の知らせを受けた。郵送で受け取ることはできるけれど、なんとなく母校が懐かしく思い、先日、大学へとりに行ってきた。手続きはスムーズで、何ら問題なし。

最後に大学に来てから、もう約10年くらい経つだろうか。授業のある平日の夕方、大学内の人通りはまばらだった。校内は広いので散歩をしてみたのだけど、落葉樹は紅葉しはじめていて、よい気晴らしになった。

学部棟の横を通り過ぎて思い出したのだが、大学には情報センターという、窓がなく、厳重に空調整備された、パソコン何十台と並ぶ部屋があった。私が学生だった2000年代半ばといえば、インターネット利用が定着しつつある時期。情報なんちゃらという1年次で必須の科目を受講した時に出入りしていたほか、アパートにはまだインターネット環境がなかったのでよく利用していた。今は単なるパソコン室の需要なんてもうないのか、情報センターの名称は何だかとても複雑なものになっていた。

大学生協にも足を運び、書籍コーナーに立ち寄った。論文の書き方に資格試験、そして就職対策本のボリュームが厚くてついつい長居してしまったけれど、学生らしき人は周りに誰もおらず。手に取った本はどれも新しかったようで、ページをめくると乾いたノリがぺりぺりと剥がれる音がした。みんなちゃんと本読んでいるだろうのか? といっても私だって現役の頃、ここでまともに本を探した記憶はない。

大学時代の4年間は長いようであっという間だった。学生時代に子どもを産んだ子がいたのだけど、その子どもはきっともうすっかり大きくなって、あの頃の私たちの年を越えようとしている。私はもう親世代、何だか時代についていけていない。

大学時代はなんだかんだ自由にいろんなことをやらせてもらった。自分の意思で、自分がやったんだ。そんなふうに思っていたけれど、いつだって親や学校、地域や社会のバックアップがあったからこそ。そんなことを改めて感じて、なんだか胸に熱いものが込み上げた。

発行してもらった成績証明書を大学内でスキャンしてPCのドライブに保存した。もう遠い過去の履修歴や成績に何の意味があるのだろう。卒業後の成果の洗い出し作業も、早く終わらせないと。

懐かしい風景の写真を1枚納め、仲の良かったゼミの友達何人かにシェアしようと思ったけどやめた。最後に連絡をとってから、やはり数年も時が経っているが、私の進捗を聞いたら驚くかもしれないし、やっと動いたね、と笑われるかもしれない。合格するまで黙っていることにしよう。

いいなと思ったら応援しよう!