西脇順三郎『旅人かへらず』カレー

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☆例によって、レシピは後半です。

今年は季節が前倒しだという。桜の満開も早かったし、躑躅の咲くのも早かった。思えば五月のはじめで、こんなに薔薇が咲いていたかしらとも思う。梅雨入りも早いとささやかれるし、そういえば今日は早くも夏日。
夏も立ち、空気もむわむわしてくる。どこか水っぽくて、昨今のマスク必須にはなんとも苦しい。夏っぽい日の空気感はしかし嫌いではない。なにより匂いがちがう。街全体が緑の、青っぽい匂いに包まれる。どの植物のというのでもなく、あちこちの樹々がそれぞれに発する匂いがからみあったような、青くて眠たくてさっぱりした匂いだ。夏が来るんだなと思う。
夏が来ると読みたくなる本がいくつもあって、いくつもあるもんだから、その八割は基本忘れている。覚えている方の一冊に、西脇順三郎の『旅人かへらず』がある。夜、窓をあけてこの詩集を読んだ。雨が降りはじめるような匂いは夏へ続く湿気だろう。ごおおおおと、飛行機の音か車の音かわからないくぐもったものが遠く聞こえる。そこに集中していると、自分の家にいながら、不思議に旅に出たような心地になる。しかし。この詩集、夏の詩集とばかり思っていたのに、夏は出てこない。語られるのは秋であり冬であり、また秋である。にもかかわらず、たとえば

ばらといふ字はどうしても
覚えられない書くたびに
字引をひく哀れなる
夜明に悲しき首を出す
窓の淋しき

なんて箇所は、夏の真夜中のイメージでわたしの記憶に残っていた。奇妙なことに、このフレーズを暗誦すると、鈴虫だか松虫だか、夏の虫の声が聞こえてくる。なにかがこんがらがっている。
しかしこんがらがる感じ、さまざまな要素が薮を成すこと、それはこの詩集の一つの側面ではないか。そう大見得切って言いながらも特に理由があるわけではない。ただ、『旅人かへらず』でいよいよ前面にでている藪や茂みへの愛着、植物が好きというのとも違う、かずら、蔓植物への偏愛、それの自然に生い茂る様子へのまなざしに気づくと、やはりそうも言いたくなるのだ。
『旅人かへらず』はしばしば、西脇の転回点とも言われるらしい。それまでの西洋趣味、ギリシャへの憧憬からつむいでいた詩とはたしかに異なり、和の風土に、なんなら俳諧の世界に回帰したかのような詩でもある。しかし、そんなわかりやすい回帰(たとえば三好達治のような)をするならば、上に引いたばらを巡る詩はうたわない。
『旅人かへらず』を読み返して思うのは、これは帰って来ないオデュッセウスの詩だ、という印象だ。オデュッセウスはなかなか帰らない(というか帰れない)のだが、東洋の島国に降り立ってしまったこのオデュッセウスはついに帰れない。オデュッセウスの神話は、神話でありながらすでに啓蒙のうつろいが見られる。ざっくりと言えば、機智を効かせて難所を切り抜けるお話である。機智をきかせるため、オデュッセウスは冷静な切れ者で、状況にあまり流されない。観察して、考える。ところがこの東洋に流れて来てしまったオデュッセウスはそうはいかない。理知がきかぬほどに感性の世界にひきずりこまれてゆく。

やぶがらし

『旅人かへらず』の五と書かれた章には、ただ、この一言がある。一単語にすぎないこの言葉が、しかしなぜ妙に胸に沁みるのか。そう思ってしまうなら、あなたはもう、この帰れないオデュッセウスと酒を飲み交わせる。やぶがらし。「が」の濁音がたまらない。旅人の目にはすべてが新しい。客観や理性など、そこではきかない。いや、むしろ逆だ。客観や理性といったかたまってしまったものに揺さぶりをかけるために、わざわざ旅をするのだろう。しかしそれは現在の話で、東に流れたオデュッセウスには無縁の理屈だ。

やぶからし、ではなく、やぶがらし。このあたりに西脇順三郎の呼吸の要がある気がしている。先に引いたばらの詩でも、行替えに注目したい。この行替えのどこかぎこちないリズム、これをぎこちなさではなくノーマルとして捉えたとき、ことばはどのように見えてくるか。それは詩人の声のリズムで詩を味わうという試みである。
学部生の頃、詩学という講義を詩人の吉増剛造が担当していた。そのとき彼がほろっとこぼした西脇の声の印象が忘れられない。水の底で細い植物の茎を折るような、そんな声だった。吉増の形容にもしびれたが、しかしこの声の感じ、思い描いて『旅人かへらず』を音読すると、やっぱりこの旅人は帰って来ないのである。そして、やぶがらしはやぶがらしだ。

......ええっと、なんの話?
そう、西脇順三郎カレーのレシピを書こうと思って、その理屈を書いているうちに、だんだん興がのって来た。というわけで、レシピを書いてみる。

西脇順三郎に捧ぐ、かえらない旅人のためのやぶがらしカレー

☆ホールスパイス(あれば)
・クローブ 5個
・カルダモン 3個
(・フェネグリーク 小さじ1)

☆スパイス(粉)
・カレー粉 大さじ1.5
・黒こしょう 小さじ1
・唐辛子 小さじ1 (七味とか一味とか)

☆野菜 (目安です)
・空芯菜 1束
・たまねぎ 1個(みじん切り)
・アスパラ 3本
・ピーマン 3個
・オクラ  5本

にんにく 1かけ
しょうが 1かけ

かつをぶし 1つかみ
酒 大さじ2
水 かぶるほど
醤油 大さじ2
味噌 適宜

◎作り方
1、にんにく、しょうがはみじん切り、たまねぎは粗みじん、アスパラは2cmくらいに切る。ピーマンは細切り、オクラはヘタを落としてそのままでも、輪切りでも。
2、鍋にオリーブオイルをしき、弱火。クローブとカルダモンを入れる。ふつふつしてふくらんできたら、にんにく、しょうがを入れる。
3、野菜をすべて入れて強めの弱火にして蓋を閉める。時折かき混ぜて、しんなりしてきたら、酒を入れる。その後、かぶるくらいの水を入れる。
4、煮立ったら、かつをぶし1つかみをわしわしと細かくしたもの、醤油を入れて(かつをぶしをがしがしと削るのでもOK)、フェネグリークを入れる。15分ほど煮る。
5、パウダースパイスを入れて、ざっとかき混ぜる。味を見つつ、味噌、塩で整える。


・野菜はたまねぎ以外は、西脇の藪感、蔦植物感が出せるものならなんでもいいと思う。とはいえやはり夏野菜。モロヘイヤ、つるむさきなどのアクの強めの野菜もいいと思うし、そのほうが合うと思う。
・今回は完全ベジカレーとして作っているけれども、もちろん肉を入れて作るのも◎。鶏肉かひき肉が合うと思う。ひき肉ならば3の前に、鶏肉ならば理想は別のフライパンで焼き目がつくくらい相手から5で入れる。あるいは3で野菜の上に入れるのでもOK。
・最後におかひじきをさっと湯がいたものや、細かく刻んだニラを入れるのもよいと思う。あるいは茗荷。っていうか、ニラと茗荷はたいてい合う。おかひじきはやったことないけど、合いそう。合いそうだし、西脇が書きそう。『旅人かへらず』の一章であってもおかしくない。やぶがらし。みたいに。おかひじき。
・いっそのこと、やぶがらしを入れるのもいいと思う。やぶがらしはそのままだと食べにくいけど、一晩くらいつけておくとアクがぬける。新芽は多少水に漬けても食べられる。ぴりぴりとしびれる感じがするが、味はクセの強いモロヘイヤみたいな感じ。なのでアクを抜いてからトッピングする分には、『旅人かへらず』だしいいんじゃないかと思う。思いはするが、まだやっていない。

蔓植物が好きだ。くるくるまきつく感じ。その曲線と、しなやかさ。それでいてきれいに青い。西脇の作品でこの人も同じような偏愛を抱えているのかと思った。しかしそう最初に思ったのは詩集ではなく、随筆だった気もする。ヘクソカズラという、花はかわいいのだがひどい名前の植物を知ったのも彼の随筆だった。藪には薮の空間があるし、それは外から見えるような小さなものではない。蔓がつくるこの内部は案外耽美的で青臭い。それをカレーで表現できればと思って作ってみた。しかしカレーって何なんだろう。

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