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この鳥肌たつ生のフィクションを、強く、激烈に、愛せ
深夜まで起きている日が増えた。まるで、眠りから拒絶されているように起きている。
雨が降り出して、世界は潤んでいた。「悲しみの星」と呼ばれるこの星が、目に涙をためて、落し子たちにせめて、「愛している」と唄っている。
自らの誘惑の乳を、なんの疑いもなく楽しむ無邪気な子等に、これからの子の行く末を思って、その痛みに震えながら、せいいっぱい愛している。あるいは、子を離そうとしない母親か…
雨が針のように世界に突き刺さる。負傷した雨の日の世界は美しい。
最近はチョコレートのスイーツをよくつくるから、深い褐色に、眠りから拒絶された、人の黒い夢を重ねたりする。
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神、“それ”としか呼びようのないもの。永遠の平安と至福。
あるとき、“それ”は「知りたい」と思った。はじめての欲求が生まれた。「知りたい」、自分を。愛そのものである“それ”は“それ”でしかないために自らを知ることができない。
何かを知るには、目撃し、体験するには、対象がいる。あれとそれ、あなたとわたし、のように…分離が生まれた。
愛が愛であるなら、平安と至福であるなら、なぜわざわざ愛を知る必要があるのだろう?そのままでいいじゃないか。
愛を知るために、こんなにも痛みと苦しみを生み出して、これから、人類は真に統合されたひとつの意識に進化するために、とてつもない苦しみを経験するかもしれないが…
なぜわざわざ“それ”は「知りたい」などと思ったのか。それは人間に知ることはできない?知ってしまったら、欲望を抱かなくなるから。
自らが“それ”であり、分離などなく、この世の喜びも苦しみもみな幻想なのだと知ってしまったら、人はもう何も求める必要はない。
神の沈黙を豊かさだと言う人もいれば、卑猥だと言う人もいる…
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どのようなガトー・ショコラをつくるのか…乳化のさせ方、温度、メレンゲの泡立て方がキーポイント。
シンプルな焼き菓子で、ともすれば食感が単調になりやすい。ハイカカオなら、チョコレートの深いコクを味わえるけど、目がつまるところをしっとりさせるようにしないと、なめらかに口の中でとけなくて…
良質のチョコレートを選び、魅力を堪能できること。メレンゲの軽やかさのある上部から、チョコレートが沈んでしっとりとした下部へのグラデーション、当日と翌日の味わいの違い、難しいけれど、つくっていて楽しい。
あと、わたしは直球ストレートな表現が苦手で、ちょっと引いてしまうから、チョコレートの持つ官能をどのように秘めるかとか、ガトー・ショコラというスイーツをどう演出しようかと最近はそればかり。
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まだいたらないところばかりでも、丁寧に誠実につくる。食材を知ること、道具を知ること、鏡を磨くみたいに…
屈折率がよりゼロに近くなるまで。その鏡に映るスイーツのヴィジョンはどんなだろう?
この作業は錬金術に似ている。息を殺し、声の無い音で語ること。自らのうちに黄金をつくれた者の音は、時間の支配から逃れる純粋物質となる。
(普遍的な美味しさってこのこと?)
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ひび割れて焼き上がるガトー・ショコラに、「花のような傷痕をもって生まれてきた」という、カフカの『田舎医者』の一節を思い出す。
「知りたい」と意識が何らかのヴィジョンを抱きこの世に生まれた。これが第一の幻想であり傷。わたしたちは、誰もが花のような傷をもって生まれてきたのだ。
わたしは肉体感覚というものが希薄だし、わたしがわたしであるという、おそらく普通人がもっている圧倒的に強い感覚が生まれた時から喪われているように思う。
なぜ肉体で感じたことはリアルだと、確かに在る事実なのだと、無防備に信じられるのだろう…
それでも、見つめ、手を動かし、触り、香り、味わい…それらによって生のヴィジョンを、「わたしは在る」を支えようと絶えずしている。
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冷えたバターを溶かしたチョコレートに加えていくので、溶かしバターの濃厚感はありません。
また、きび砂糖の穏やかなコクと風味はクセがなく、カカオ65パーセントのチョコレートとよくあっていて、ゆるめのメレンゲとやさしく混ぜていく工程により、やさしい涼やかな風合いのガトー・ショコラに…
目立たないけれど、よく見たら仕立てのよいブラウスみたい?縁に少しレースがあしらわれているような、寡黙な人の自己顕示欲のなさに安らぐような、食べる人にプレッシャーを与えないスイーツ。
どう感じるかはそれぞれだけど、スイーツのいろいろな表情が愛おしい。
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スイーツはなんのためにあるのだろう…
ただ「美味しい」のために?
スイーツは、普通、甘い。
甘さがあるには苦さがあるわけだ。スイーツには「心地よい」という意味もあるが、心地よくなるには不快があるわけだ。
ふんわりあたたかな気持ちになるからには、冷えて閉ざされたものがあるわけだ。
(いかなる欲望がおまえを走らせるのか)
この、神の気まぐれではじまったゲーム、生のフィクションを、わたしは『失楽園』の天使に挑んだ悪魔軍団の気概で愛する。
この生のフィクションを、強く、激しく、愛するのだ…
まだ愛してる、まだ愛してると叫ぶように歌いながら、空から堕ちた小鳥のために、世界でいちばん孤独な人のために、祈る。
深刻になる必要はない。だってジョークなのだから。笑い飛ばしながら、にがい心を通り、喜びと苦しみのドラマから脱出!
あの、全身で感じるせつない空間へ…
せかいとぼくはたたかっている
きっとせかいがかつだろう
ぼくになかまはいるのだろうか
ああ、せかいはきょうもまたすこし
ざんこくになってゆく
でもきみとふたりでいられるから
かわいたかなしみをわらいにかえて
おどっていることにしよう
「またあした」