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坐禅や瞑想ができない人も閃きを受け取れる能力はある

私の知人で、坐禅を50年近く続けている人がいます。
6歳の誕生日におじいちゃんからプレゼントをもらえるということで楽しみにした当日、「座りなさい」と言われて座ると、物ではなく坐禅のやり方を教えてもらったそうです。
毎日やりなさいと言われたので、それを素直に現在もやり続けているそうです。
例えば、今度人と会う予定があると、だいたいどのように話しが進むか分かるそうです。
 
また時間さえあれば瞑想をするという友人もいます。
瞑想をしていると、次々アイディアが浮かび商品の開発につながるそうです。
実際、開発した商品は売れています。
私も講習会に参加したことがありますが、もうファンとなった人達が集まって商品を買っているのです。
 
さて私ですが、坐禅は2年くらいお寺さんで修行したことがありますが、何の閃きも感じることはありません。
瞑想も、知人に誘われやったことはありますが、こちらも何の閃きはありませんでした。
 
そんな私でも、閃きがある時があります。
仕事で、原稿を書いていることが結構あります。
普段は部屋でパソコンを使って文章作りをするわけですが、時には全く先に進まない時もあります。
そんな時には、救いの方法があります。
外に出て歩くことです。
すると、パット言葉がうまれてくることがあり、さっとメモします。
また、電車に乗ると、これもまたパット言葉がうまれてくることがあるのです。
この時も、すぐにメモすることができます。
 
最近の私は、風呂に入っている時、閃くようになっています。
問題は、浮かんできてもすぐにメモができないことです。
風呂を上がったときには、もう忘れてしまうこともあり残念ですが、せっかくなので思い出すようにしています。
 
こうした閃きは、原稿を書く上で非常に助かります。
私は、坐禅とか瞑想の極意とか秘訣などはわかりませんが、歩いている時、電車に乗っている時、風呂に入っている時は、坐禅や瞑想と何か共通したことがあるのではないかと考えてみました。
 
多分、余分なことを考えない状態になっているのではないでしょうか。
それが閃きを受けやすい脳になっているように思います。
そう考えると、坐禅も瞑想も、脳が同じ状態になっているのかもしれません。
難しい言葉で言えば「無になる」ということでしょうか。
あくまで私の感想ですが、坐禅や瞑想ができなくても閃きは受け取れると言えるようです。

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