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寄りかかっていいよ。

HSPママは、ときには、というか一日に何度も、人にモノに音楽に映画に本に自然にペットに(に限らず)、寄りかかってふーっと大きく息を吐いてゆるめてね。口をすぼめて、ふーっと息を吐ききるのがおすすめです。そうすることで、脳に「酸素十分あります」信号が送られて、体全体が「あー安心、今安全」とリラックスできるからやってみてね。

前回書いた、口にチャックして目からラブビームね。このビームがラブなのが理想なわけだけど、最初はラブだったかどうだったか。とりあえず顔が見れて嬉しいな、とか、Hi!ぐらいのビームだったかもしれません。
反射的に言いたくなる言葉を飲み込むようにすると、その言いたくなる言葉に否が応でも気づくようになります。あ、こんなこと言いたくなっちゃうんだ、やだなあ、とか、あー自分はこんなこと言われて育ったんだな、とか、親が反射的に感情的に返した言葉に対応するために、自分も反射的に返してたんだなあ、とか。そのうちに、それ以外の自分の行動や思考にも気づくようになりました。ささいなことでも、あれこれ深く考えている自分、自分の考え、やること、やったこと、それぞれ常に厳しく批評している自分。HSPあるある(笑)。あらためて、いつも頭がフル回転だなー、そりゃひといちばい疲れるのもわかるな、と思うのと同時に、「あれ?今思ったこと、それほんとかな?」と一つ一つの思考に疑問が湧いてきました。
例えば「疲れがたまってしょっちゅう体調を崩すのは自分が弱いからだ。それほんと?」
- HSPの性質として深く考えるのは生まれ持った特技みたいなもの。だったらいいも悪いもないな。
- HSCにとって最悪な家庭環境で育って、高校で神経疲労が上限超えてすでに人生疲れ切ってたよね。それでも生き抜いてきただけですごくないか?今までにおきたこと、それに引きずられてしてきた選択って自分のせいじゃないな。
こうして気づきだすと、無意識に自分を責めてきたことのなんと多いことか!そしてそれらすべてを問いただしていったら、「悪い自分なんてないじゃん」という結論に達しました。さらには、自分を責めることをやめたら、逆に「あーここからは自分の選択は自分の責任だな」と素直に思えました。つまり、自分に辛い選択、自分の神経系に疲れる選択はしない。やりたくないことで、かつやらなくても良いことは一切しない。自分の判断基準がより明確になりました。

「自分に起こることは、すべて自分のために起きている」と言うけれど、結局、不登校の息子との信頼回復のために始めた変える努力が、実は私に一番必要だった自分を癒やす旅につながっていて。自分に優しくなればなるほど、息子への愛情が深まっていくのが実感としてありました。というか、目の前にいる息子に、特に言葉をかける必要も感じず、将来に対する不安も心配もゼロ。ただ無心で、「そのままでいいよ」っていうのと「100%信頼しているよ」っていうのが全身にみなぎっている感覚で、それは時間をかけて揺るぎないものになっていきました。

息子は学校に行かないという私に一番インパクトのある方法で、「あんたはそのままでいいんだよ」「俺は俺でいいんだよ」というメッセージを遠隔で送り続けてくれたんだと、今ね、そう思います。それが、海より深い、子の親に対する愛情じゃないかと、思うんですね。私がこのラブを両手広げて受け取れるようになるまでに、息子は中学生になってしまいました。ただ経験から言えるのは、子育ては気づいたときから、いくらでもやり直しがきくということ。明橋大二先生も同じことを言っています。
正直、妊娠前に、出産前に、今のような気づきがあったらなあ、トラウマに対処できていたらなあ、と思いますが、知らないことはできないんですね。気づきが大事、知ることが大事。
今目の前にあることをやっていこうね。


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