【エッセイ】家庭教師

今思えば、社会に出る前にいろんな経験を積むためにも、大学のときに、もっとたくさんのバイトをすれば良かったとも思いますが、時給も良くて効率が良いバイトということで、家庭教師しかしませんでした。

家庭教師の会社に登録はせず、下宿の近所のスーパーの伝言板などに、名前、大学、電話番号を自分で張り出して、直接生徒を募集していました。個人情報保護が厳しい今では考えられないのですが、30年程前は、まだ牧歌的な時代でした。中学生、高校生の英語、数学、物理、化学を教えていました。

一番楽だったのは、優秀な生徒さんです。有名大学附属高の生徒さんで、真面目に問題に取組むので、私は採点するのが仕事で、しかもほとんど正解なので、数問間違えた問題を少し解説するだけでした。紅茶とケーキも出して頂いて、しっかり頂いていました。

その生徒さんは、内部進学で、法学部に進みました。将来は弁護士になりたいと言っていましたが、今では立派に法曹界で活躍しているのではないかなと思います。

手を焼いたのは、反抗期の中学生でしたが、思い出深い生徒さんでした。自分の理解の仕方や教え方では、生徒さんには伝わらないので、噛み砕いて、いかに分かりやすいようにするかと苦心しました。成績は、ぼちぼちでしたが、私には思春期の相談相手でもあったようです。両親には口を聞かず、ときには反抗的な態度をとっていました。一方で、両親からも、私に、息子とどう接すればいいのかと戸惑われて、アドバイスを求められることもありました。

私が接する限りは、息子さんは根は素直で優しいお子さんだし、ご両親も自営業のようですが、自由人らしいところも感じられました。

私が親子の間を取り持つ立場でもありませんでしたが、「今は、お互いを認めることが良いのではないでしょうか。ご両親も自由な考えをお持ちのようだし、息子さんの考えに寄り添って、ある程度自由にさせるのが、良いのではないでしょうか」などと、アドバイスしたように思います。それが的確なアドバイスだったのかは、今でもわかりません。

私が就職してしまい、高校、大学までその生徒さんをみることはできず、連絡がいつしか途絶えてしまったのですが、親子の仲がうまくいったのか、しっかりと大人になったのかと、ふと思い出します。

脱サラして医者になりたくて、医学部を受験したいので、数学を教えてほしいというサラリーマンもいました。喫茶店で、最初は教えていました。すると、「先生の下宿の部屋にいって学生気分になると、もっと集中して勉強に取り組めるので、是非部屋に行かせてください」と、真顔で迫ってくるので、さすがに怖くなって、もっと他にいい先生がいますよと予備校などを紹介して、家庭教師を終了しました。サラリーマンの生徒さんは、今は医者になって診療しているのでしょうか。

家庭教師での出会いも、生徒さんのその後の人生の何かのお役にたっていればよいなあと思います。

(おしまい)

#エッセイ #家庭教師 #教育 #バイト

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