異世界転生保険(ショートショート#22)【1700字】
余命半年と宣告されたとき、コウタは天にも昇るような高揚感に包まれていた。まるで宝くじで三億円当てたような喜びだった。もちろん、医師の前では神妙な顔をしていたのだが。
***
それから一週間後の夜、マンションのリビングでコウタは一人、妻と娘の帰りを待っていた。
窓ガラスに映った自分の姿がカーテンの隙間からのぞく。少し疲れた表情をした中肉中背の三十代の男の顔がそこにあった。すると、
「ただいま」
「ただいま、パパ」
妻のちとせと娘のカナの声が玄関から響く。ちとせはコートにショルダーバッグを肩にかけ、両手にいくつもの手提げ袋を抱えている。カナは白いワンピースにお気に入りのハットをかぶっていた。
「買い物でお疲れのところ悪いな。大事な話があるんだ。まあ、座ってくれ」
二人は着がえるとコウタの前に着席した。
「何? 話って」
「落ち着いて聞いてほしい。一週間前、人間ドッグでがんが見つかった。肺がん。それも末期がんだそうだ。余命は半年」
妻は呆然としているが、娘は何もわかっていない様子だ。
「噓でしょう?」
「本当だ。ちとせの言う通り、タバコをやめればよかったよ。後悔しても、もう遅いが」
「半年って、そんな。早すぎる」
「大事なのはここからだ。幸いなことに、俺は生命保険に入ってる。余命宣告されたと申告すれば、生きてるあいだに保険金を受け取れる。これは、カナの養育費に充ててくれ」
ちとせが顔を手で覆って、泣き出した。隣でカナは不安そうにしている。
「それで、相談なんだが」
「何? 何でも言って」
コウタは保険会社のパンフレットを取り出して、ちとせに見せた。「異世界転生プラン」と書かれた項目をコウタが指す。
「保険に加入するとき、無料でこの特典がつけられたんだ」
「異世界転生?」
「うん。アニメでよくあるだろ。まあ、実際に転生するわけじゃなくて、比喩なんだけど」
コウタがパンフレットの写真を見せた。大人一人が横になれる大きさの棺桶のような装置が映っている。棺桶からは様々なパイプが伸びていた。
「コールドスリープ装置だ。難病で余命宣告を受けた人は、この装置で冷凍保存されて、医療が発達した未来で目覚め、治療を受けることができる。それが十年後なのか、百年後なのか、それはわからないが」
「ニュースで見たわ。でも、とっても高価なんでしょう?」
「うん。一部の富裕層しか利用できないくらいには。でも、この『異世界転生プラン』を選べば、保険金が出ないかわりに、このコールドスリープ装置に入れてもらえるんだよ!」
熱をこめて語っていたコウタが、ハッと気づいた。妻と娘がまるで不審者を見るような冷たい目をしている。
「ま、まあ、もしこのプランを選べば、の話だよ。もちろん、保険金の方を選ぶよ」
「え、ええ。カナもいるものね。そうしてもらえる?」
ちとせは何とも複雑そうな表情をしていた。
***
それから半年が経った。リビングのカーテンの隙間から月がのぞいている。ちとせは食卓の椅子に腰かけ、受話器のコードを指にからませながら、病院からの連絡を待っていた。
プルルッと鳴った瞬間に受話器を取る。
「葛西総合病院です。五十嵐ちとせさんですね。落ち着いて聞いてくださいね。五十嵐コウタ様が、ついさきほど……」
ちとせが息を呑む。
「病院から姿を消しました」
***
あれから何年が経ったのだろう。コウタが棺桶の中で目を覚ました。とても長い夢を見ていた気がする。コウタは、人工呼吸器をつけ、全身にチューブをつながれ、下着だけを身に着けている。髪は生え放題で乱れていた。
そして、視界に白衣の女性が現れた。
「おはようございます。五十嵐コウタ様。あなたの治療の準備が整いました」
「おはよう。君は?」
「エターニティ生命であなたの管理を担当している有賀と申します。この度は『異世界転生プラン』をご利用いただき、ありがとうございます」
「すまない。今日の日付を教えてほしい」
「2026年12月20日、火曜日です。コウタ様が冷凍睡眠についてから、2年が経っています」
「2年だって!?」
「はい。つい今年に入って、がんの特効薬が開発されたのです。ところで、治療に入る前に、ある方から郵便が届いています。前妻の五十嵐ちとせ様からの慰謝料請求の訴状なのですが……」
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