其之二 新しい人生|国は安楽死を認めたけど異世界に転生するっぽい
腹が立ってきた。
怒りの感情。
酷く、久しぶりな気がする。
怒る気力も湧かなかった日々。諦めて、落ちていく自分を受け入れる、不毛な日々。
これも、身体が若くなった影響なのだろうか。代わりに支配していた、死にたいという想い。衝動。なくなっている。全く、感じない。
この、体力を持て余す感じ。発散したいと訴えるエネルギー。これは、懐かしい。
……転生するときに、精神をイジられている?
いや、これは単純な、若さだ。分かる。知っている。溢れ出すパワーが落ち着かなくて、後先を考えずに行動した、あの頃を思い出す。夢中で電柱を殴って、手の骨にヒビが入って。消化不良な感覚。
「アナタの、新しい名前ですが」
「え、あ?」
気持ちが追いつかない。落ち着かない。新しい、名前?
あ、お、名前が、思い出せない。なんだ、これ。気持ちが悪い。自分が誰だか、分からない。自分の人生は確かに存在するのに、そこに自分の名前がない。なんだ、これ。
「名前には、強いアイデンティティと、血の絆があります。それを放棄してもらっています」
さらっと、凄いことを言う。
気持ちが悪い。本当に。なんだ、これ。目眩がしてきた。自分の記憶が、嘘みたいになっていく。
「アナタの新しい名前は、リヴァン、です」
「リヴァン……」
そう呟くと、目の前がチカチカと、フラッシュした。思わず、膝をついた。頭が歪む。吐きそうだ。
「大丈夫ですか、記憶を上書きしています」
なん、だ、と……?
記憶から消えていた名前が、埋まっていく。自分の人生がリヴァンという名前で整理されていく。疑いがなくなっていく――。
リヴァン……自分の、名前だ。
「自分の、この身体は、クローン、なのか……?」
「まさか」
わざとらしく、目を見開く、ルゥヌゥ。
「……おかしいだろ、今、何を、したんだ」
「そんな高度な科学技術は、異世界に持ち込めません」
「クローン以外に、有り得ないだろ。どうやって、この身体を用意した、今の現象は?」
「さあ?」
ルゥヌゥは、首を傾げた。
「ふざ、けるな……」
「それは、ワタクシにも、説明できません。そういう仕組みが、この異世界にあった、としか」
「とぼけるな……」
「ワタクシは、この”始まり宿”の雇われ、ですから。業務として、お伝えするだけです」
視界がハッキリとしてきた。膝を払って、立ち上がった。
「ワタクシは、ただの看板娘です」
それを自分で言うのか……。
「事実ですから」
表情を読まれたか。
「……、魔法か?」
「魔法!」
ルゥヌゥが、炊事場から水を持ってきた。
落ち着け、ということか。確かに、恥ずかしいことを言った。
汚いコップだ、木製の。一気に、飲み干した。美味い水ではなかった。
「新しい名前で、新しい人生が始まります。改めまして、ようこそ、フォセマへ」
鼻から、息を力強く吐いた。
取り敢えず、落ち着こう。
やはり、気持ちに若さが出ている気がする。異世界に”剣と魔法”を想像するなんて。本当に、思考も若返っているのか。
「自分は……この異世界で、何をやらされるんだ、野放しではないだろう?」
「やらされる、とは。トゲがありますね」
「……すまん。若気のコントロールが難しい」
「構いません」
もう一杯、ルゥヌゥは水を持ってきた。もう、要らないが。
「前提として、何も強制しません。アナタは自由です。何をして過ごして頂いても。ただ、生きる為の対価は必要ですよ」
働け、てことか。
「仕事は、山のようにあります。まずは、安心して生活できる基盤を構築した方がいいでしょう。日雇いの仕事が殆どです」
日雇い、か。
「具体的には?」
「食料や資材の調達です。まだ、屋外に出られていないので、想像も難しいと思いますが、ここは小規模な村です」
入口を振り返った。荒れた地面が見える。
祖父母の家を思い出した。電車も通らないような田舎だった。山道で、コンクリートで舗装もされていなかった。
雰囲気は、そんな感じか。
「この村を出て、半日ほど歩いた先に、他の村があります。同じ間隔で、点々と、いくつもの村があります。計画して確保した、地球から来た人たちの為の、領土です」
「領土?」
「野生の猛獣がいます。あと、原住民族がいます」
「うお、マジか」
異世界人……!
「領土の拡大は、優先事項になっています。広く大きくなるほど、資源も増え、安心して暮らせますから。村々の防衛力も高くなります」
「原住民族が、襲ってくるのか?」
ルゥヌゥは、首を振った。
「いいえ、接触は僅かです。ほぼなく、あっても、それは事故に近い。侵略するという考えが、そもそもないようです。これは、お互いに。戸惑いですね、殆どが。珍しい、二足歩行の群れる獣に遭遇した、というリアクションです」
少し、ワクワクしている。ここは地球ではない惑星なのだろう、十中八九。念願の宇宙人じゃないか。
「山菜を摘んだり、野生の獣を狩ったり、警備をしたり、道を舗装したり、新たな拠点を開拓したり、常に人手は足りていません」
異世界に転生した。新しい人生を始めなきゃならない。これまでと同じように、給料をもらって生活をする。
あの、死ぬまで終わらない苦行の、やり直し……。
一瞬、そう思ったが、これは、違うな。
「治安の維持も必要です。結局、人が集まれば、諍いは起きます。喧嘩や言い争い。窃盗、殺人。対地球人の、治安維持部隊は、警察や自衛隊レベルを目指しています。訓練も、毎日、行われています。飛び入りの参加は自由ですし、歓迎されます。お勧めしておきます」
まだ、ルゥヌゥ以外に誰とも会っていないが、話だけ聞けば、ほぼ日本の延長じゃないのか、ここは。
「最近は、人口も急速に増えています。地球で、安楽死がスタンダードになってきたのでしょう。興味本位で死ぬ人も増えた、と聞きます」
……そうだ。改めて、これは、とんでもないことだ。
都市伝説ではないと、気づいた人がいる。というか、事実として、秘密裏に共有されていても、不思議ではない。
地球の人生を諦めれば、二十五歳まで若返る。例えば、美に飢えた高齢の女性たち。我先にと、安楽死に殺到する姿が、容易に想像できる。
都市伝説のままなら、イタい連中の妄想で、片がつく。
”ガチ”だとなったら?
「これは、達成が非常に困難な課題ですが、科学文明の再現も急務なのです。科学者、専門家たちの死を待っている現状です……不謹慎でしたね、失礼しました」
壮大な企みが有る。裏に。きっと。
安楽死した人間を先に投入して、犠牲にして、異世界で何かを確立しようとしている。目論んでいる。
ははは、陰謀論者みたいな思考になってきた。若い、好奇心を抑えられない。
「有識者が揃うのは難しいことです。現代科学無双は、夢のまた夢です」
……実際、そうだろうな。
そう、現実は、”集合知”だ。現代人は、皆、賢くなったつもりで過ごしているが、スマホやパソコンを取り上げられたら、何もできない。役立たずの有象無象だ。
よく言われていることだが、サバイバル下では、即死だ。小動物すらも狩れないし、キノコの有毒も判別できない。
現代人は無能、無力だ。
「この村、始まりの拠点、どうやって実現した、想像できない。まさか、原住民族から、奪った?」
「簡単ではなかったと、聞いています」
奪ったのか?
「……ワタクシも、この異世界に長くはありません。第一世代も、第二世代も、全滅だったそうです。一人も生き残れなかった。少しずつ、サバイバル生活に長けた人が登場して、やっと、初めての拠点ができたそうです」
そう、だろうな。自分だったら死んでいる自信がある。
安楽死して、転生して、すぐ死ぬ。何のコントだ。笑えない。
「今から、十年前の話になります」
……十年!
安楽死が認められてから、異世界への転生は始まった?
と、仮定すると、自分が死んだのは。安楽死が解禁されてから、世間の様子を見ていて。それが三年間だから。自分は死んでから、七年も経っているのか?
何の為に?
何の為の、七年?
「第一世代は、生きていれば、三十五歳でした。本当に、過酷だったそうで。今、最年長は、第五世代の三十一歳です。拠点拡大の指揮を執る、最高責任者たちです」
クローン再生の順番待ち、か?
「衛星がありませんから、地図は足で描きます。未踏の地へ赴き、地図を作らなければなりません。皆さん、大忙しですよ。未踏探索は、人気の仕事のひとつです。危険ですが」
安楽死を認めたことで、年間の自殺者は減った。それは、安楽死に変換されたからだ。忖度で”死ぬ義務”に駆られた高齢者も増えて、年間に数万人が安楽死している。
人手不足?
何故だ?
年間、数万人が転生していたら、人手不足にはならない。むしろ、飽和状態になる。
選別されている?
だから七年も経過した?
二十五歳を最低ラインにしているとしても、安楽死の主は中高年だろう。
年齢の上限がある?
八十歳で死んだ老人を転生させて、また、働かせる。流石に鬼畜の所業か。それはしないと、信じたい。
いや、クローンの成功例が、低い。極端に。否定されたが、自分はクローンだとしか思えない。現実的に考えれば、そうとしか説明できない。
膨大な母数が必要。数万人という母数。失敗が前提。成功は一握り。
……辻褄が合う!
よく考えろ。国の側の人間の話を、鵜呑みにはできない。政治家が真実を口にするか、するわけない。嘘つきしかいない国だ。
実験台?
安楽死で誘っている?
クローンの大規模培養施設が、間違いなく、この異世界にはある。
「色々と紹介しましたが、アナタには何の責任もありません。アナタは自由です。旅をしてもいい。自給自足で生活してもいい。受け入れます。拒みません。ですので、無視してもらって構いませんが、我々の最終目標、大きなひとつの目標に向かっています。それはお伝えしておきます」
まさか、勘弁してくれ、クローンの軍隊、クローン戦争か?
「この異世界は、将来の、全地球人の移住先になります」
……第二の地球を、作っていたのか。