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私というコミュニティ

長年生きてくると…と言っても高々55年の人生なんだけど。

自分の周りにコミュニティって出来ませんか?

おんなじ様な気持ちの人が集まるというか、何となく仲良しグループみたいな。

たぶん、私はそれが上手い。

そして付かず離れずの関係で過ごしやすいコミュニティが完成する。

その代わり癖のある人達のように、ずっと一緒の関係は作れないという…。

どっちでもいいと思う。

各々にとって居心地の良い場所があれば、トゲトゲする必要は全く無い。

同じ時代や同じ空間にいても、気持ちのステージって違ったりするし、やっぱりみんな違ってみんないい。金子みすゞさん、天才。

それは家族でも同じ。

同じものを食べて同じように過ごしても、それぞれに違う人生を歩んでる。

子供の時って親が全てって思ってたりするけど、ほんとは全然違う。親だって人間。レベルの低ーい親もいれば、乗り越えられないほどの立派な親もいる。

自分の産んだ子供達にしたってそう。

いくら血縁関係があろうとも、この世に生まれた瞬間に他人になる。いや、お腹の中に宿ったその時にもう別人格なんだよね。

そんな事考えもせずに人って生きていく。

そういうわけで、私は家族に対してのこだわりは全く無い。

冷たいって言われればそうかもしれないけど、他人だと思えば親切に出来る説。

今、穏やかに過ごせているのはその考え方のおかげかな。

別に嫌な人生を歩んで来たわけじゃない。

親に迷惑をかけられたわけでもないし、子供に振り回されたわけでもない。

むしろ逆で、親には今だに助けてもらってるし、子供達は私に振り回されている🤣

そんな感じだから、他人の子供でも我が子みたいだし、歳が離れていても友達みたいだし、年上の人でも仲間になる。

アカペラって、少しでも音がズレてたら不協和音になる繊細なハーモニーなはずなんだけどね。

ハモらんばはねぇ。

言い方悪いけど、少々音が外れてても許される自由さがあるの。

最後まで歌い切ったらそれでヨシ!みたいな。

なんだろね。

いつも言われるんだよ。なおやん💕 さんはそれでいいって。私だけじゃないよ。もちろんみんなもそれでヨシ。

完璧を求めたらギクシャクしそうなアカペラサークルがここまで続いてるのは、そのおおらかな優しさゆえんだと私は思ってる。

歌う楽しさって、何も人に聴かせるためだけにあるわけじゃないと思いません?

心の底から楽しいって感じて声を出す、レベルの違いは度外視しても湧き上がる喜びって、外に出た作品よりもそのメンバーの内側から噴き出してくる達成感みたいなエネルギーがもう大好きで。

音が外れたからやり直し〜とか、ステージに立てないよとか、覚えなくちゃだめだよとか、だーれもそんな事は言わない。

そりゃ、正確に音が取れてなければ何回もやるけども、ただ歌うだけでも難しいのに、違う音をぶつけてハーモニーを作る、そしてその音を歌うのはたった1人というグループで、得意不得意ありつつ新しい曲にチャレンジし続ける。

いろんな曲をやるから飽きない。

サークルとしてはまさに理想的なグループ。

その上、レベルアップしたい人のためのステップアップグループまである。こちらはハーモニーの美しさの追求をちゃんとやるガチのアカペラ。

安心して聞いていられるチームもやっぱり必要で。

ねえ、こんだけたくさんの人が生きている地球で、長崎という西の端の県で出会った、年齢層も幅広いこのアカペラサークル、すごくない?

私というコミュニティ

その重なりあった一部に過ぎなかったサークル活動が、今、私の生きる原動力になりつつある。

もちろんこれから先、少しの重なりになる可能性もあるけれど、流動的な所が持ち味の団体だから、ずっと存在してほしいと思っている。

私がこの世界からいなくなった後も誰かの記憶に残りますように…

おしまい。

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