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マスク論争で見る”反対派”の熱量

こんばんは。
ずいぶんデカいタイトルつけますね、って感じですよね。
マスク論争について語る内容ではありません。
単純に、「反対派」に対してちょっと思ったことを書くだけです。
最初に言っておきますが、これは拒絶や否定等の内容ではありません。
マスク論争について、私はどっちでもいい派です。
何に対しても「反対派」というのは熱量がすごいな、と感じたのでちょっとお話させてください。

SNSをだら~っと見てると、最近よくタイムラインに流れてくる内容があります。
いわゆる「反ワクチン」や「反マスク」。
要するに、ワクチン反対!やマスク反対!っていうやつですね。
私のタイムラインに流れてくるものが、ただ過激なだけかもしれません。
ただ、あまりにも流れてくるので、気になってしまって。
まず、私はワクチンに反対ではありません。かといって、賛成でもありません。
じゃあどっちか。
別にどっちでもないんです。
マスクに関してもそうです。
反対でも賛成でもありません。
対応としては、ワクチンに関しては3回打ちました。(3回目、今日ですので腕痛い。)
ちなみに、息子は5歳で接種対象になりましたが、こちらは打つ予定はありません。
マスクは、してます。人の目を気にして、とかではなく自分の意思で。
まず、なんでワクチン3回打ったの、と言われたら、打った方が良いと思ったから。
副反応は確かに怖いです。何かあったらどうしようとか、実際にあった、という症例もSNSで見かけます。
でも、結局は自分の責任だと思ってるので、何かあったら仕方ないか、という感じで、打ちました。
息子に打たせないのは、やはり副反応が怖いからです。
もうじき6歳になりますが、それくらいの年齢でも、副反応の状態をちゃんと教えてくれるとは思っていません。
なので、高熱が出たり、しんどかったりしても、恐らく伝わらないだろうと思い、リスクを避けました。
コロナにかかるリスクはもちろん背負うことになります。
なので、そちらはできる限り防いでいこうと思います。
マスクに関しては、マスクをしていないと人に変な目で見られる、とかそういうのではありません。
単純に、マスクをしてから変な病気にかかってないからです。
というか、元々年に1回熱を出すか出さないか、くらいの健康体なんです、私。
風邪もほとんど引かないし、引いても大したことありません。
だから、マスクのおかげってわけではないと思います。
でも、マスクはしたい。
顔も隠れるし。マスク生活に慣れて、顔の下半分さらすの、ちょっと恥ずかしい年齢にもなってきたので。。。
でも、車の中では外します。苦しいし、私は眼鏡をしているので曇っちゃうんですよね。
ただそんだけの理由でマスクをしています。

さて、タイトルに出した「反対派」。
熱量とは?
SNSを見ていて思ったんです。
「●●反対!!」と言ってる人、その熱量がすごい。
いわゆる、「圧がすごい」。
私がよく見かける投稿には「みんなでマスク外そう!」「みんなでワクチン拒否しよう!」という、「みんなで」という風潮が見られます。
「なんでマスクしなきゃいけないの?そろそろマスクが意味ないことを知ろうよ!」
そんな感じの専門的なことまで飛び出しております。
「ワクチンは副反応で死ぬかもしれない。」「国の陰謀だ」
そんな内容まで見かけます。
ここまで行くと、ちょっと突拍子もないな、と思っちゃいますが。
この上の投稿について、ちょっと思いませんか?
「強制力がすごい。」
私、マスクについては思うところがあるんですよ。
外したい人がいる。こんなマスクつけろっていう風習は終わりにしよう。
みんなで外せば怖くない!
そういう反対派が多いんです。
「みんなで」という部分に違和感を感じます。
え、なぜ全員がマスクを外さなければいけないんだ?
個人的には、マスクしたい人はすればいいし、したくない人はしなければいいと思っています。
私はマスクする派です。
理由は上にも書いたんですけど、感染の点から答えると、防ぎたいから。
ウイルスを防ぐのは医学的根拠がない、と言う人もいますよね。
でも、私自身はマスクのおかげかは分からないけど、少なからず防いでると思ってます。
私の実家には高齢の祖母がいます。
祖母がコロナにかかったら、恐らくひとたまりもない。
だから、防ぎたい。
祖母に会いたいので、感染予防はちゃんとしたい。
だからマスクをしています。
かといって、マスクに守られてるとは思ってませんよ?
マスクをして、相手と距離を取ったり、知らない人には背を向けたり、出かけなかったり。
マスクをしていない人がいても、別に嫌だな、マスクつけてよ、とは思いません。
でも、お話したいとは思いません。
だって、私はマスクである程度飛沫を飛ばさないようにしているのに、相手はマスクしてないから、飛沫飛びます。
なんで私だけ飛沫浴びなきゃいけないのよ、と思っちゃいます。
ウイルスとかでなく、単純に唾飛んでくるの嫌だ、的な感じですね。
だから、避けることはしませんが、最小限にとどめたいなって思ってます。
まぁ、私のところは田舎なので、基本的にみんなマスクしてますけど。
コロナワクチンに関しても、わざわざ打った打たないなんて話題にしませんし、副反応がある以上、個々が決めることなので、どうも思いません。

ここまで、マスクとワクチンのことについて話しましたが、「反対派」っていうのはどんな話題にもつきものですよね。
国会だって、小さな議会だって、グループディスカッションだってそうです。
「反対派」は圧が強いって、さっき言いました。
強いと思います。
反対派の方は「賛成派は強制してくる!強制するのはおかしい!」という言い方をしたりします。
でも、反対派の方も「みんなでやろう!こっちを応援して!歴史を変えよう!」的な感じで、結果的に強制してます。
「みんなでやろう」という部分が強制感を出してるのかな、と思います。
なぜ?なぜみんなでやらなきゃいけない?
確かに、多数派になった方が多数決社会では有利です。
でも、それを強制されても、正直困ります。
もちろん、それは「賛成派」にも言えることです。
「みんなでやっていこう!」「これが正しい!」
これもある意味強制です。
どちらの派閥も「自由だ!」「人権を尊重しろ!」と言いますよね。
でも、お互いそれぞれが自分の意見を持ち出して「強制」しようとしているということに気づいていません。
だから派閥ができるんでしょうね。
どっちでもいい派が多くても駄目です。
じゃあどうしたらいいのか。
強制しないこと、ですかね。
賛成派「こうすることがいいと思う!賛成する人集まれ!」
反対派「いや、こうした方がいいと思う!反対する人集まれ!」
これだけで良くないですか?
ここに、「ね?みんなそう思うよね?そうだよね?」というものをくっつけてしまうから、自由ではなくなり、強制になってしまうんです。
それに、人の心は簡単に動きます。
強制されてることに気づかず、言われるままフラッと行ってしまう人だっている。
それでは、ただの数集めにしかなりません。
それって、ディスカッションの意味があるんでしょうか?
改革なんてできるんでしょうか?

タイトルに「反対派」と入れたのは、なんとなくそっちの圧が強く感じるからです。
国会なんかは特にそう感じます。
野党が、与党のことを批判するとき、「●●はだめだ!辞めろ!」とかそんな言い切りな感じがします。
会社なんかでは常識なんですけど、ダメなら代替案を出すものではないのか、と思います。
「●●はだめ。もっとこういう風にこんな風にする方が良いのでは?」
否定するなら、それなりの根拠と、元を上回る代替案を出すものだろう。
私は以前勤めていた会社でそう学びました。
否定することは子供だってできますよ。
「やだ」の一言ですから。
じゃあどうするのか。どうしたいのか。
子供でも答えますよ。
「●●したかった。」と。
確かに、こんなに簡単な仕組みではないかもしれません。
でもいがみ合いから何かが生まれたことなんてないと思います。
生まれたとしても悪いものです。
与党野党、多数派少数派、賛成派反対派。
人間ってつくづく張り合うものなんだな、と思います。
でも、少しでも平和に終われるような気持ちを持てば、世の中も変わるんじゃないか、なんて思うのは、ちょっと甘いですかね。

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