人生とは宇宙システムの一部
昔、人生は歯車のようなものだと
感じる事がありました。
例えば、仕事、家庭、父親、お金、友達
など、色々な歯車があるとして
そのどれか一つでもうまく回っていないと
他の歯車もちゃんと回ってくれないな。
と。
しかし、3次元の視点から見て気づいた事はなんのことはない。
僕自身が歯車だったんだということ。
3次元にいながら2次元のラインランドで生きていた僕は
僕という存在が確かにあって
人生という舵を切るのは僕で
その僕の中に歯車のようなものがあり
僕がうまくいくために
全ての歯車をうまく回さないといけない。
と、思いながら歯車が
うまく回ることはなかったわけです。
この世界には夢でも妄想でもなく
宇宙というものがあって
なんの因果か地球という星が生まれ
ありえない奇跡の連続の先の先の先の
とんでもない先に
今、僕という魂がここにあります。
どうやら人間にはとても計り知れない
宇宙のシステムがあって
そのシステムは
私はここにいない
や
生きているのではなく生かされている
や
物事は偶然ではなく必然
など
そもそも、私というものは
その大きなシステムの一部なんだ
という事が[ある]存在に対し
この宇宙の歯車たる資格が発動し
恩恵を得るようです。
なぜなら、自分という存在がなければ
歯車が回りシステムが動く。
という、利他的であり
かつエフィカシーが高くは
在れないわけですから。
しかしながら、本当の意味で
自分という存在は
一体どういった歯車なのか?
そこに自分で気づく事ができる人は
本当にほんの一握りではないでしょうか。
天才性で生きている人というのは
その確信度が圧倒的に違うわけです。
そして歯車たる自分をしっかりと動かすための歯車も存在し、自分がうまく動けるシステム、パターンというものが存在します。
それを導く天才性チャートに出会えた事は、奇跡的な必然であると思うし
感謝が溢れでてくるのです。
だからこそ
天才性チャートに出会えた人は
宇宙に選ばれた人であり
僕もまたその1人として
天才性チャートを受け取る人に
おめでとうと言葉をかけてしまうのです。