身体に影響する創作物の忘れ難さと、視力低下に影響する在宅勤務中のブルーライト
時々頭をよぎる小説が何篇かある。
例えばレイモンド・カーヴァー「でぶ」という短編。
話はあるようなないような短くて些細なものなのだけど、読んだ後くらくらして怖くなった覚えがある。一応ネタバレは避けるけど、最後の一文にとてもショックを受けた。
主人公の男が話を始める。知り合いの女性が働く店に、すごいでぶが来たっていう話。たったそれだけなんだけど、後半に主人公の意識はどんどん参っていく。もっと言うと、「すごいでぶなのよ」とか言われるような、異質なものに男自身が呑み込まれていく。とても奇妙な感覚になる小説で、はじめさっぱり分からなかった。「分からなさ」に取り憑かれて、繰り返し思い出したり読み返すものに時々出会うけど、「でぶ」は間違いなくそれで、時々思い出す。
僕の中で同じような場所にある小説として古井由吉「杳子」がある。
芥川賞を獲っているけど、新人の段階でこんな濃いの書いてたの?って初めて読んだ時驚いた記憶があります。基本的には初々しい恋愛小説だけど、意識の流れがくっきりと書かれて、文を辿るだけでも好きになる本だった。中盤以降、恋愛小説にはおなじみの「距離を取る時期」が発生して、主人公は杳子という彼女に対して強い気持ちがぐわんぐわんしてきます。ただ、この小説が凄いのはその一歩先に行くことと、その意識の流れが高い文章力で書かれていることです。
ぐわんぐわんしているだけでも、何とかしがみついて読んでるような感じだったのに、後半になるともう酔ってきます。乗り物酔いする時の感じで、本当に読み手の身体に影響が出ても不思議じゃ無い(僕は出ました)所まで行きます。
2つの小説に共通するのは身体に影響したというところです。
頭だけでなく、他の器官に影響しているような感覚になるところ。あんまりそんな体験は多く出来るものでもないので、時々思い出すのかもしれません。
ところで、今日は在宅勤務でした。
1日モニターの前に居て、目が痛いです。在宅勤務の度に、ブルーライトカットの眼鏡を買おうと思って、週末に忘れてしまいます。