二つを見分ける賢さと初心をとりもどす2022Ver.(自己紹介に変えて)
上記は、AA(アルコホーリクス・アノニマス/アルコール依存症者の自助グループ)を始めるとする12ステッププログラムに忠実なセルフヘルプ(自助)グループのミーティングで、必ずと言っていいほど口に(眼に)する『祈り』のフレーズです。
わたしは、この『祈り』に、人生で初めて“底つきした”二十数年前に出会いました。
“底つき”って?
〜わたしのケース〜
情愛が濃い目の歪んだジェットコースター恋愛が崩れ、それを発端にメンタルが不安定になり、人間関係も壊れ、仕事にも行けなくなり、、廃人のようになり何もかもがどうにもならなくなった(なんもかんも底ついた)。
という時期があったのです。
幸か不幸かコレがきっかけで「生育歴から引きずってきた生き方の悪癖・悪習慣や歪みもろもろ」ーーつまりは、嗜癖(アディクション)や共依存の問題、矛盾だらけの家族関係と精神的ネグレクト・虐待的環境と過度なストレス状態もろもろが明らかになり、わたしは生まれて初めて「精神的に生きかえる」という目覚めの体験をしました。
当時いくつか掛け持ちしてたバイト先の一つで仲良くなった友人が、奇遇にも自助グループに通っていて、これらの問題の在りようや「自己回復」につながるいろんなことを伝えてくれたのでした。
“底つき”したわたしは、当時ゆいいつ繋がりがあったこの友人(心理や精神医学の専門家ではありません)に“救われた”のです。
本当に奇跡!
*この周辺エピソードの一部は音声コンテンツで聴けます→ココ♪
で。 なぜ、この「祈り」をいまさらのように記しているかというと、あるブログで、このフレーズを見つけたからです。
ブログ主さんの書かれている、アディクション/依存症からの自己回復の過程が、当時の自分を思い起こさせ、懐かしさを感じさせ、“あのころ”の自分の想いが呼び覚まされたのです。
そんな矢先。
2021の年末(10日ほどだが)にわたしは【腰を痛めました】。急に。
数年に一度か二度くらい見舞われる、鈍痛をともなう痛みです。
腰というより背中にかけて筋肉が硬直してる感じ。
立って動いてる時はさほど感じないものの、長らく座ったり横になると痛みをともなう。
ここ2年ほどオンライン対応がすこぶる増えてMac画面をずーっと座ったまま見つづけることも日常になりました。
集中度が高いほど身体が緊張しているということに、意外と気づけなかったりする。
シビレ切らした「身体さん」がSOSを発したのだろう。
それにしても、よりによって、年末にっ!
(けっこう大切な案件や作業・仕事が残ってたのに……)
と、小さくフテくされたりメゲたりしてました。
表向きイイ感じでも内側で葛藤が起きるヒトという生きもの
振り返ってみれば、今年もとい昨年2021年は、ありがたいことや喜びを感じられることが間々あったのに、拮抗するほどネガティブなことも入れ替わり立ち替わりあったのです。
《そういうことって、ありませんか?》
昨年もとい一昨年は、12月頭に父の急逝もあり、なんとな〜く“喪中な気分”が続いてたのかもしれません。
(といっても10年以上アルツハイマーでいくつか施設のお世話になり、ここ数年ほぼ目を閉じてたような状態だった)
ちなみにワタクシ、父の死去についてさほどショックも悲嘆もないんです。
自分でも不思議なくらい。
急に亡くなったとはいえ寝たきりに近い状態だったので、むしろ「まだ生きてますなぁ」くらいの感でした。
冗談じゃなくマイナスな意味でもなく、ただ素朴に「まだ生きてるわー」という感じ。
むしろ、よくぞ自分を活かせずまま&良質のモデルとならない人生を、ここまで生き抜いたものだ!と亡骸に向かって小さく健闘をたたえたくらい。
ひとつ【父の死を通して愕然としたこと】を挙げるとすれば、、
同時に、【自分の人生の大きな転機】が来てる感もありました。
実はいっとう厄介な、俗に言う『毒母』が、まだそこそこ元気に生き残ってるのです〜!
とはいえ、自分も棚上げできないこと多々。
いまだ独身五十路も折り返しの2022!「還暦」も近づいてきた!
何を隠そう(隠してないけど)30歳になった時「自分の人生は60で終わりで良い」と本気で思ってた。(のちに「底つき」があった・爆)
その計算でいくと、“寿命”まであと5年しかないのよ〜w
「人生100年」とかゾッとする。
地球レベルで見れば、くだらない諍いばかり起こしてるちっぽけな人間がムダに生き長らえてどうする。
ナナメなセリフを強気で吐きながらも、「子どもいないし心温かい家庭もないし、オレ死んだら誰が処理するの?」とか気弱になっちゃうお年頃。
そんなこんなで、
外向きにはけっこうイイ流れに乗ってるのに、内的では、意外にも大波小波、大小の葛藤もつづいてました。
他人の人生に関わることの意味をあらためて想う
小さな葛藤は、仕事に絡む場面でも(もちろん?)あります。
ひとつは、不相応にも2年前に「講師業」を始めたことでしょうか。
いわゆる人を養成・教育的関わりする活動も始めちゃった。
(「教育」という言葉や行為ほど嫌いなものはない人だったのに!)
そしたらね。
なんて、これまでにない感覚が生まれたんです。
《そう、、わたしね、本当はね、子どもほしかったんですよ……》
おっと、そっちの話じゃなくて、
急に自分以外の人の
・人生構築を応援したり
・サポートする役目を始めた
ので、調子が狂ってきたんです。
(知らんがな)
いやいや【自分以外の人の人生の一端に関わる】ということなら、心理援助の仕事ですでにやってきた、はず。
ですが、講師業ってメンタル援助と違う視点の広さが必要だと気づいた。
前向きながらも小さな葛藤が生まれ始めた頃に、追い討ちかけるようにコロナ様がやってきた。。
オンライン化しづらいコンテンツをメインにすることの葛藤
Zoom は、Zoooっ〜と前から使ってたし、Zoomより先にSkypeでセッションもやってたから、ツールの扱いに手間取ることはありませんでした。
ただ、講座的な内容をオンラインで主催するようなことはなかった。
ちなみに。
セラピスト/カウンセラーとしてのわたしが、対人援助のプロセスやワークショップであつかう心理療法は「表現アートセラピー」というやつで
……なんです。
“動的”なボリュームがあるだけでなく、感覚の深いところ(特に身体感覚)にアプローチするタイプなのでオンラインだと出来ることが限られちゃう。
せっかく起動に乗り始めたと思ったらコレだ。
当時、九州福岡との縁が復活し「また仕切り直して現地でも活動できる!」って希望を感じてた矢先の、コレ。
ネット活用歴20年超えるわたくしベテラン(?)だけど、オンラインメインで信頼関係を築くのって、けっこう労力いるんです。
エネルギー消耗度が意外に高い。
いろんな人の「奥底に潜む情動」が、無自覚な闘争or逃走モードで現れるのを、ワタクシ敏感なんで察知しちゃうんです。(辛)
だから余計に、疲れる。
過剰に刺激を受けずに切り抜けれるかという葛藤や危機感もあった。
その不安をよそに受講者さんが比較的つづけて参加されてこられたことは、いろんな意味で感謝です。
小さな小さな活動体にも関わらず、ありがたい話。
積極的な受講者さんに恵まれ、コロナ様も少しづつ落ち着き始め、昨秋には約2年ぶりにリアル会場でのワークショップも復活!
同時に予想外の課題もポロポロと出てきた。
それが先の
『「自分の人生の世話だけしてりゃ良い」というわけにいかなくなった!』
単にわたしの力不足とか不準備だったりが要因ですが、キャパシティがキツキツになってきて、大小の葛藤と希望を観ながらの忙しない日々でした。
これまで協力者とか応援してくれる人もおらず、同胞仲間にすら恵まれず、理不尽という言葉では済まないほどの乱用とハラスメントを受けハラワタ煮えくりかえって骨まで溶けそうな程の極限状態も独りキバって10年20年とやってきて、老化も否が応でもやってきて、サスガのワタシもいよいよ抱えきれなくなった。(寿命は近し!)
……とまぁこんな独り言エピソード、久々に公でダラダラ語ってます(汗)。
「腰痛」というメッセージが与えてくれたもの
そんな1年をすごし、なんとかかんとか乗り切れるか年末?!という時に襲ってきた腰痛。
《ナニコレ、締めでまた苦しめられんのー?!》
さすがに何も手つかずで眠り姫になり、すなおに休むことに。
その暁の年明け、布団にくるまって某著名人の動画(確か「リーダーシップ」とかの内容だった記憶あいまい)をぼんやり観てたら、、
ふわぁっと気づきと「許し」が降りてきたのです。
自覚した瞬間「安堵感」で身体中が包まれて、心なしか腰も楽になった(お調子者)。
気持ちの整理がつき始めたころ、またも【平安の祈り】が目の前に現れた。
初心を思い出した。
この年始は、布団にくるまりながら20年も前の自分のプロセスを思い出していた。
を繰り返してました。
つい忘れがちだけど、
本当に、つい忘れちゃうんだけど、
この言葉を胸に『今日いちにち』を過ごしてた自己回復プロセスこそが、わたしが(最初に)生まれ変わった原点で、今に繋がる根っこ。
さらに、アート(Arts)/表現アートという方法を通して
生きる力を取り戻し、
創造する力を取り戻し、
自分の人生を築き直す力を取り戻し、
自身の持つ深い感情・感覚と出会う体験と学び、
身につけたワザ等々でもって
自己回復や治癒を必要としている人の心理的援助をする。
という『道』を選び、何があっても、細く切れそうになっても、歩いてきたわたし(もはやコレしかできることないのよ〜)。
この二つは人生において何度もやってくるね。
うん、それでいい。
悲喜こもごも葛藤やらなんやら。
→自分を許す(赦す)。
→時に律する。
それで良き。
身体をゆるめ、こころをゆるめる。
やんわりととのう。
楽になってきた〜。
最後に。
この「平安の祈り」は、締めの4行目が“キモ”なんです。
※詳しくは、長くなるのでまたの機会に
2022年は「賢く」なろうと思う。
「アートセラピー(芸術療法)」に魅せられて、二十数年が経った。
子どもの時分から「ものごとが続かない」と実母に年中指摘されてたワタシが、アート表現を介したこの《世界》に居ることだけは、何度たましい殺されても、孤立化を強いられ困窮に喘ぎつづけても、財布の中に数個の小銭しかなくなっても、離さなかった。
独立して活動を始めて通算10年目。
まだ何も成してない(と自分では思ってる)。
メンタルサポート活動で初めて「報酬」をいただいた時から数えて21年目。そして(余談だが)今年で『55』!
Go!Go!やで〜。
なんだか区切り感のつづく昨年今年なのです。
ちなみに「22」って数字は、「数秘術」によれば特別な意味があるという。
おいらの誕生日は「22」日。
今年は2022年。
なにかが新しく生まれたり入れ替わったりする、かもしれない。
新たなスタートが始まる、かもしれない。
完全に「自分のこと」をネタにして、無駄に長い長いテキストを122年ぶりくらいに書きました!
始めます。
また久しぶりに「書く」ワーク(Work)も始めます。
「書く力」が少しずつ戻り始めた(喜)。
世の中も、さらに変化変容が加速する1年になるでしょう。
想像を超える日々の気づき学び、悲喜こもごも、、から見出したことを綴っていきます。
けっこう読み応えもあり役にも立つこともあると思うので?!
(逆に大ハズしな時もある、このテキストみたいに?!)
お暇なとき読みにきてね〜〜。
2022年、どうぞよろしくお願いします☆
旅するアートセラピスト 高山佳緒理(かおりん)
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代表:高山佳緒理 ※プロフィールこちら
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