思想的なものづくり
結局ものづくり大国であるからして、国内において、思想主義的なものづくりができるデザイナーはよほど少ないと思う。このプロダクト綺麗だな〜、こう使うのか。機能としてはこう言うことができるのね、ふむふむ。で終わる。
webデザイン(企業サイト・ECサイト・サービスサイト)で言うと、表面のマーケティング上での目標達成において重要視されてしまうものであったが、現在いただくご依頼の中でそういったものは少ない。そもそもソリューションが違う、と言うことでもあるが。ブランド思想の体現の重要性は認知が取れてきているように思う。
以前制作したwebサイトが、制作会社が紹介するデザインレビューで取り上げられており、こんな内容が書いてあった。「この規模・このレベルでの構造・デザイン性でwebサイト制作を依頼する場合100万は用意したほうがいい。」
いや、感覚全然違う。
前回のnote、価値の話でも書いたけれども、ものづくり思想では価値の判断基準が表面的・機能的になってしまう。ものを作るところにのみフォーカスしてるので、“もの作り”の上での見解、価値判断しか述べられない。見解の中で、構造・デザイン性が生まれる前段階がすっぽり抜け落ちている。実際、写真のトーン・レイアウト・ソースを真似てしまえばwebデザインなんてほぼ同じものができる。独自性を求められるのは、差別化集中戦略の上での話であったり、サノケンさん問題的なところもある上、同じものは絶対に作ってはいけない、的な委細承知ゆえのこと。
デザインは思想である。
これは機能主義を否定する話ではなく。
機能主義ゆえの即物的デザインは、
思想の体現の最も効果的な手法である。という説。
Dieter Ramsがバウハウス期の即物的な機能主義を全うしたことは、howではない。これは思想であり、在り方によるもの。whatを真似したブランドは数多くあり、売れてるものも多い。ただし、大いなる求心力を感じるかどうかは疑問視できる。