【2024年実践】断捨離のすごい効果:本とCDの整理で人生が変わる!? 断捨離進んでます!
本棚が大分すっきりした。
好きな作家、好きな本だけを残した。CDも含む。
断捨離のきっかけと過程
チェーン店系古本屋には売るまいと自分でお気に入りの古本屋さんに掛け合い買って頂いた。自分の本があの店に訪れる誰かの手に渡り読まれるのなら売買金額がいくらだろうとかまわない。(まだ査定中)
図書館に寄付も考えたが図書館でも寄付を受け付けてない図書館もあったり、条件があったりと寄付も思いのままに行かなかったのだ。
ネットで辞書やなんちゃらコードがなくても何でも買ってくれる段ボール着払いの店を見つけ、試しに何箱か送ってみたが、何でも買ってくれる代わりに単行本でも叩き買われ、チェーン店系古本屋さんと変わらないと実感。
運送費の着払いの分が経費が掛かるのね。
売りたいものによって売り先を考えるべしと勉強になった。
電子の時代であっても良い本や音楽は最初の出会いのアイテムとしてアナログ媒体は都合がよい。とボクは思う。
要らなくなったから売るのではない。いいからこそ譲るのだ。
聴いてほしい、読んでほしい。
共感してほしい。
最近は本屋、レコードショップが激減している。そもそも本、音楽との出会いの場所が限られている。買う方法が変わってきているとは言えアナログ媒体もいいですよ、と紹介したい。
これからは服の処理を進めて行こうかと。
服は直接店に売りに行ったことがあるが、今は古着屋さんが乱立状態であまりいい値段では買ってくれない。
お金で考えるより、次にどんな人が着てくれるかで行き先を考えようかと。
日本でこれだけ古着屋さんが乱立して質のいい古着が出回っているならボクの服が海外に出てもいいと思う。もし必要とされるなら。
(海外も飽和状態だそうだけどね)
量販店の古着なぞ次に誰も着たがらない。
仮にしっかりした作りの服であっても。
昔は「技術家庭」の授業があってもっとしっかり家庭科の授業を勉強しておけばよかったと今にして思う。ちょっとした服の修復ならしてみたいと思うからだ。
しっかりした作りの服ならちょっとした修復なら自分でできたかもしれない。(程度によるが)
断捨離を通して得たもの
断捨離に進む心境の変化は年齢かもしれない。
本棚の本の背表紙を眺めることや、CDの薄いタイトル表紙を眺めることに疑問を感じ始めたことが大きい。(今更?)
お気に入りの本、音楽は実は決まっている。それ以外は実は「その他」だ。
「その他」の中にはもちろん名著、名盤がある。
今まではそれらを所有していた「欲」に満足をしていた。
どうも最近その「欲」から解放されつつあるのかと思う。
「所有欲」からの解放…。
これが断捨離を進めた大きな要因となったのだろう。
これを早くから脱離したかったか?
否、それなりに所有していてそこそこの満足感を得てその時の勘違いでもいい、多幸感を得たなら。やはり「過程」が必要なのだと思う。
しょ~もなくてもいい。多少なりとも所有欲で多幸感を感じていたことで今までのボクがあったと言っていいだろう。
断捨離の深掘り:所有欲との対峙
…しかしちょっと待てよ、熟考せよ。
本当に所有欲から解放されつつあるのか。
勘違いしてやいないか。
ただアナログな物がデジタルになっただけで「所有欲からの解放」って言ってやしないだろうか。
本棚は確かに整理された。CDはiPhoneに入ったままだ。いつでも聞くことができる。
今一度「断捨離」について考えてみよう。
まずは誰が言い出した?
断捨離提唱者やましたひでこ
「家財を極力減らして生活する、ミニマリズムとも混同されがちですがそれも違います」だそうだ。
ま、必ずしも提唱者さん通りに「断捨離」を受け止めなくてもいいとは思うが、まずは提唱者である「やましたひでこ」さんの断捨離に従うと、現在の自分の展開でいけているのだろう。
スッキリした。
残っている数冊の本・CDはボクの死後に家族に託し、処分してもらう。本は行き先(売り先)をメモに残し。
今後の展望
さてと、部屋を見まわし次の課題が見つかった。
仕事の書類だ。
以前の、今の、書類が部屋にも積もっている。
記念に、記録に、と部屋に残されている。
これも一種の「自己満」で自分以外見る人はいない。無駄に部屋の一部の空間を所有している。
まだまだ断捨離の旅は続きそうだ。