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【映画レビュー】『おんどり鳴く前に』が大衆の正義を問う - ルーマニア映画の魅力と社会批判

塚口サンサン劇場で「おんどりが鳴く前に」を観た。
観たかった映画だ。
ルーマニア映画、
タランティーノっぽい?
中々興味をそそるじゃないかい。
オモシロかったか?
急いで行け!


タランティーノ風?ジム・トンプソンを彷彿とさせるノワール要素


映画の原題「Oameni de treaba」は「善良な人々、実直な人々、仲間、同僚」だそうだ。

ルーマニアはボスニアヘルツェゴビナに近い。ボスニアヘルツェゴビナと言えば、エミール・クストリッツァ監督が有名だ。キットあのテイストだろうと観る前から勝手に想像する。
映画の作風は宣伝ではタランティーノなどと言われていたが、確かに映画で言えばタランティーノだが、小説家で言えばジム・トンプソンを思い浮かべた。主人公自身はノワールになりきれてないけれど…。

エミール・クストリッツァ監督との比較:バルカン半島の映画美学


エミール・クストリッツァ監督映画は、ハリウッド映画のような俳優や画作りをしない。フランス映画のような甘い切ない画作りもしない。独特の世界観があり、俳優陣もその世界観に沿った顔立ちをしている。バルカン半島辺り映画の趣きを呈している。

景色がやたら美しい


かくして「おんどりが鳴く前に」の映画の役者さんもそうだったし、美しい田舎の街並みもそうだった。
今後も楽しみな監督さんだ。

以下ネタバレあり。


深く掘り下げるのは映画専門家さんにお任せするとしてボクは単純な構造での感想を述べてみたい。

善と悪の狭間:主人公の葛藤を描く巧みな構造


善と悪、今現在手にする欲と未来手にするかもしれない夢と。
構図は分かりやすい。
自分の未来の人生のためにこのまま悪に手を貸すか、10前に正義感故取った行動が組織内的な圧力に屈し、辛うじて仕事は続けているが地方へ来ることとなった暗い過去。
離婚もし、それ以来彼の人生は鬱々として一向に晴れない。
10年前の失敗を再び繰り返すこととなるのか。

10年前の失敗を繰り返すのか…

行動は非常にシンプルだ。
ただし、行動するか否かの判断、実際に行動に出るかどうかの行動力のキッカケとなる事案に出会うかどうか。その事案が「キッカケ」と認識できるのかどうか。
こういったことは我々の日常にも溢れている。

主人公には変えたい未来がある。
そのためには足元のゴミを見ず遠くの美しい景色を見る必要がある。
みんながやっている事なのだ!
「善良な人々、実直な人々」と言われる隣にいる普通の人々がやっていることなのだ。
何も自分のことを棚に上げて人を批判しているのではない。自分もそうなのだ。

彼(主人公)は元来の性格だからこそ選んだ職業だったはず。
(彼の正義感を示すシーンはところどころある)
どうしても彼の悪い所ばかりに目が行きがちだが、ついつい出てくる彼の本音の「いい人」ぶりには彼を心底憎めないものを見せられた気がする。

「聞こえる」音の重要性:物語を動かす聴覚要素

聞こえてきた音を聞く


耳はふさげない。目や口はふさぐことはできても耳はふさげない。聞こえてくる音や声は聞こえてくるのだ。
・村長の家を訪ねた際、奇妙な音が聞こえるかと思いきや村長自ら柱に頭を打ち付ける音だった。
その後、村長が数々の悪事に積極的に加担していることが分かった。
・寝ていたら誰かの話す声が聞こえてきた。表で自分のことを電話で話す部下の声だった。部下との関係性がギクシャクしたキッカケとなった。
・亡くなった女性の家を訪れた時、隣の部屋から聞こえてきた音に従って入った先で男の子が寝付かれず寝かしつけたら女性と話すことができた。
・果樹園で聞こえてきた声の後、本当の持ち主がいることにつながった。

「良い」を纏った「極悪」

「聞く」と異なり「聞こえる」は受動的な行為だ。
ただその聞こえた音なり声なりにどう反応するかは各個人の個性に依るだろう。
彼はそれらの「聞こえた」音や声に感化されたのも、最後の行動に至る原因の一因とボクは考える。
今は腐ったように見える田舎の警官も10年前はキット何かしらの、そう新人君のように、理想をもって正義感に燃え、正当な方法でもって悪を正そうとしたことを思い出したのだろう。
果樹園の夢も諦めた時、彼がとる行動指針はシンプルだった。
不正義を正す。
未来手にするかもしれない夢を諦めた彼がとる行動としてはシンプルかつ正当なことだったのだろう。

まさに襟を正す

行動の重要性:正義を貫く勇気の必要性


この映画はルーマニアというある一国の特殊な、或いはフィクションの映画なのだろうか…。
形や様相を変えボクらのすぐそこにいつでもあるモノではないだろうか。ただ大きな違いはこの主人公のような行動に移せる警官がいるかいないか。
職業は警官でなくともよい。警官というのは一つのファクターだ。
行動に出るか出ないかの違いは相当に大きい。
我々で言えば森友学園やごく最近で言えば神戸のパワハラ案件のようなものではなかったのではないのだろうか。
この映画との類似点で言えば単発であり、その後の継続的な悪の摘発がないことだろうか。


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