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神戸新開地のミニシアター、「パルシネマしんこうえん」で「せかいのおきく」をまたまた観てきた。「YOIHI PROJECTの第一弾作品」って知ってた?

つい先だって、ほぼ同じタイトル画像で「ほかげ」を中心に書いてみました。
今回は「せかいのおきく」三度です。
書くのが三回目。観たのは二回目。
しつこいね~。
いや、惚れているんです。
いい映画ですよ。

この映画は大きく言えば青春ラブストーリーなのですが、それで終わっちゃうとあまりにも言葉たらなさ過ぎて勿体ないくらいの質量を持っています。
伝える側の力量が問われますね。
なんせ世間の皆様に伝わってない一番の残念点はこの映画が「YOIHI PROJECTの第一弾作品」であること。
「YOIHI PROJECTの第一弾作品」ってなんじゃそりゃ!って思われたでしょ。

『YOIHI PROJECT』は気鋭の日本映画製作チームと世界の自然科学研究者が協力して、様々な時代の「良い日」に生きる人間の物語を創り、「映画」で伝えていくプロジェクトです。

そう、「せかいのおきく」はただの青春ラブストーリーではなく、ちゃんと背景を持った、並々ならぬ志高い映画だったのです。

また、このプロジェクトの中心人物が原田満生氏であり、今作品でもうんこに恐らく並々ならぬ情熱をかけ製作し、リアリティを持たせ、堆肥を知らない世代にまで匂いを想像したらせた仕掛人。
原田満生氏。恐るべし。

ボクは今作品のために原田氏はうんこを自らの手で触った疑惑を抱いている。w
多分。
きっと。

汚わい屋と言う職業がオートメーション化され、可視化されなくなった現代において匂いにも接しない、循環利用も十分に活かされない、ただ物(うんこ)を「廃棄」するだけの処理場と化し、「その後」を誰も知らないまさに臭いものに蓋をしてしまった今。

現代では「感情」までもがその場限りの使い捨ての様なものに成り下がり、かつての長屋の様な助け合いの心、皆が平等な形の共助の精神は廃れてしまうのか。現代ではマンション管理人の資格が高齢者の定年後のセカンドキャリアとして注目を浴びているそうだが、新しい文化を育んでくれるのかどうか。もっとダイレクトに言えば、愛を育めるのかどうか。
今は結局己のことしか考えられないのよね。

何でもかんでも捨てちゃっていいのか。
愛だって。
感情までもが廃棄され、その場しのぎ。再利用のめどは無し。
「せかいのおきく」においては友情に幾度となく破綻と再結成の場面が出てくる。だから人間なんだよね。

話は逸れるが、ミサイルなんかで人殺しをしちゃう戦争になると感覚が麻痺してしまうかもしれないが、己の手の振動に残る相手の骨の響きは一生ものだろうに、トラウマは相当なものと予測できる。
おきくの声を奪った刃は、父を奪い、トラウマを残したが、その代わり自由をもたらした。
代償にしては痛すぎるものだったかもしれないが、行動に移すには必要なことだったかもしれない。

追記:どうでもいいことかもしれないが、「せかいのおきく」を別府と大阪で観たが、大阪はお客さんが大いに受けていた(笑っていた)。
「わらうところ」では笑ってなかったけどね。

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