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リサイクルされる?AIロボットたち「クララとお日さま」と「ロボット・ドリームズ」が描く切ない物語

そうそう。
先日観た映画「ロボット・ドリームズ」を観ながら思っていたんだが、カズオイシグロの「クララとお日さま」をずっと思い出していた。
「ロボット・ドリームズ」の監督も読んでいたのだろうか?

ノーベル賞作家カズオ・イシグロが書いた、AI搭載ロボット「クララ」が病弱な少女との友情を育む物語。人工友達である「クララ」視点で書かれた小説である。

内容についてはここではスッパリ割愛しよう。


廃品処理場に置かれたロボットの描写は共に同じような情景にあった。
未来予想図だろう。
AIが発達したことにより人間の都合よく利用され、バージョンが古くなると見向きもされなくなるロボット。今も電化製品、スマホでは現実のモノとなっているが、未来ではAI搭載のロボットでも現実に起きている問題と同じようになるのは間違いないだろう。
そして車よろしく廃品業者のように動かなくなったものは積み上げられ部品買い取り業者かスクラップされるのが関の山。
人と会話している時点では生きているかのようだが、動かす人がいなければ、駆動する電力がなければただの鉄くず。
現時点での科学では感情はロボットでは持ちえないし、今後も持ちえないだろう。
可能であっても持ってはいけないだろう。ややこしい。

「クララ」も「ロボットドリームズ」もスクラップ処理場では「潰されることに関して」観念したかのような悲しみの感情は出していないかのようだが、愛した人との別れでは人間の都合よく悲しみの表現をしている。
人間主義の表現だ。

「ロボット・ドリームズ」では最終的には救いの手を差し伸べて終えているが、全体的に夢見がちで終わっている。一方、AIロボット「クララ」視点で書かれた小説の方はあくまで現実的(現実ではないが)だ。
考えれば「クララ」視点で物語られているのもおかしな話だが(スクラップなので)。

「ロボットドリームズ」は結局映画全体がドリームに覆われていたようなのね。


今、服やいろんな製品のリサイクルが盛んにおこなわれているが、ここにロボットが加わる日がやがて来るんでしょう。
あるモノ達はつぶらな瞳でもらってほしそうに棚に並んでこちらを見つめている様子が目に浮かぶ。


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