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"神は細部に宿る”から、足下をじっと見ることが作品の奥行を深めると信じる☆

暑さのあまりずっと続いていた裸足にサンダル生活を、とうとう終わらせました。今日からは、出かける時は靴下を履いてます。
日灼けした足の甲を眺めると、晩夏の物思いに浸ってしまう。
何事も終わりは物寂しいものですが、この暑さに未練はありません。
クローゼットから薄手の靴下を取り出しながら、江戸時代の足元事情に思考が飛びました。

江戸の初期、もちろん着物の足元は足袋でしたが、その足袋はおもに革製であり、筒が長く紐を筒部に巻き結んで着装しました、革足袋は江戸時代以前より男女を問わず用いられ。とくに女性の間では紫の革足袋が流行しました。


筒の長い足袋を紐で着装する


明暦3年(1657年)の江戸の大火以降、耐火用の革羽織の需要が高まったため皮革の価格が高騰し、木綿の普及などとも相まって木綿製の足袋も用いられるようになりました。木綿足袋の流行で、足袋専門の店があらわれるようになったのです。

貞享年間(1684~88年)からは畝刺し(木綿に絹糸で刺子を施したもの)の足袋が広まり、女性用には白木綿の足袋が流行しました。男性用では、元禄年間(1688~1704年)から柿色の木綿製が流行をみせました。この頃から、従来の筒の長い足袋に代わって筒の短い足袋が一般化します。これに伴い、紐結い形式の他に、ボタンを乳にかけて留めるものや。こはぜを掛けて留める足袋が考案され普及していきました。

江戸後期には、革製や畝刺しの足袋はほとんど使われなくなり、貴賎男女ともに木綿製の足袋が定着します。色味にしても、男性は白や紺、女性はほとんどが白に限られるようになります。底裏には雲斎織(畝刺しを織りで出した地の粗い綿布)が用いられるようになりました。
こうして現今の足袋に通ずる形態が完成をみたのです。
           「江戸の着物と衣生活」丸山伸彦編著 より要約

さらに今や、手抜き大好きな私は(笑)めずらしく着物姿となる時、化繊でストレッチ素材の靴下タイプの足袋を履くようになりました。こはぜを留める手間がないのでかなり気楽です。
若い人たちは着物にブーツやサンダルを合わせて新たな着こなしを生み出していて、見ていて楽しくなりますね!

作品に革足袋を登場させたことはないのですが、いつか革足袋に紐を巻き付ける場面を書いてみたい。
なかなか書く機会がない足元の描写ですが、”神は細部に宿る”ゆえに役立つ時がくると信じて……
資料に付箋を貼って頭の中にも叩き込んでおかなくては!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました☆
マイnoteでは、③現代に流れ込む江戸 となります。




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