
アンサンブル・ノート⑥
○マンション
有朋の部屋
朝7時。有朋が「誰も寝てはならぬ」の譜読みをしている。
朝8時15分。有朋がLDKで朝食を食べようとすると、玄関のインターホンが鳴る。
有朋、こんな時間の来客はもしかして(将生?)と訝しみながらインターホンの液晶を見るが、誰もいない。
「いたずらかな」と思い朝食に戻ると、ドアが直接ノックされる音。
有朋「やっぱ将生か」と思いながら玄関を開けると、バイオリンケースを手に持った将生が、フワっとしたカボチャのポンチョを着てしゃがんで手を振っている。
将生「おはよーさん。トリック・オア・トリート」
有朋「……はい?」
将生「トリック・オア・トリートだよ」
そう言いながら靴を脱いで上がり込むと、テーブルの上のトーストとサラダを見てニヤリ。
将生「朝ご飯をくれなきゃイタズラしちゃうぞ」
有朋「……今朝はトーストなんだ。それ先に食べててよ。用意してたら冷めちゃうから」
将生「いやそれはさすがに悪いって。自分で準備するから有朋先に食ってろ」
と、慣れた感じで準備を始め、有朋は呆れ顔。
有朋「悪いと思うポイントそこなんだ」
将生「同じマンションってこういう時も便利でいいな」
トーストが焼き上がり、将生が有朋の前に座り食べ始める。
有朋「野菜も食べなよ」
有朋は自分のサラダを真ん中に置くと、フォークを将生に渡す。
将生「サンキュ」
将生、サラダを食べ始めようとするとドレッシングが垂れそうになる。
有朋「あ、それ汚れるといけないから脱いだら」
将生「そうだな」
将生、ポンチョを脱ぐと下にもう1枚同じポンチョ。
有朋「何で2枚なの?」
将生「1枚は有朋の分だよ。今日のオケの授業、ハロウィン縛りだろ」
有朋「はぁ、着ないよそれ。せっかくだけど俺はちゃんと準備してるから」
将生「準備ってどれだよ」
有朋、ソファーの方を指差すと、そこにハロウィン柄の缶バッジが1つ。
将生「ウソだろ」
有朋「あれで十分だし。ちゃんとハロウィン柄でルールは守ってる」
将生「やっぱりこんな事だと思ったよ。感謝しろよ俺に」
有朋「なんでだよ、却下だよ。俺はそんなキャラじゃない」
将生「お前、音楽家が季節の行事を大切しないでどうすんだ! 絶対これを着ろ。俺とお揃いだ、嬉しいだろ」
将生、有朋にポンチョを着せようとして、有朋はガードする。
有朋「やだよ、全然嬉しくないし! それになんでカボチャなんだよ。将生ならカッコいいコスプレしろよ。それ全然似合ってないからね」
将生「それは去年やっただろ。俺の今年のテーマはギャップなんだ。カボチャなら俺も有朋もギャップしかないだろ。だからお前も着るんだよ!」
有朋「やだってばー。俺のテーマはギャップじゃないし!」
○滝田音大
ホール
オーケストラの授業。
生徒も指揮者もそれぞれ凝ったハロウィン仕様で演奏している。
有朋、缶バッジを胸に付けたカボチャのポンチョを着て渋い顔で演奏をしている。
有朋M「なんでみんなコスプレに張り切ってんだよ。別に観客がいる訳でもないのに」
将生もお揃いのポンチョを着ている。
オケの授業が終り、ステージでは生徒たちによる写真撮影タイムが始まる。
有朋、慌ててポンチョを脱ごうとするが、撮影大会に巻き込まれ、ポンチョ姿で撮影されまくる。
疲れ果てた有朋、ポンチョを脱いで客席に降りると、ステージを見る。
有朋「みんな楽しそうだなぁ」
ステージ上の将生は2ショット撮影会になっており、女生徒の行列。
有朋「なんでカボチャでもカッコいいんだか」
撮影大会の様子をボーっと眺めながら
有朋「なんかスポーットライトが当たってるみたい。将生には華があるんだよなぁ。ステージ側に行けるのはきっと将生みたいな人で、俺みたいなやつは……」
有朋、小さく苦笑いすると席を立ち、出て行く。
構内の廊下
バイオリンケースを背負った有朋が歩いていると、ポンチョを脱いだ将生が小走りで追いかけて肩を組んでくる。
将生「な、ポンチョあって良かっただろ。缶バッジだけなんて奴一人もいなかったじゃん」
有朋「まぁ、それはそうかもしれないけど」
将生「じゃ俺に感謝しろよ」
有朋「はいはい、ありがとうございました」
将生「心が込もってないように感じるんですけど」
有朋「感謝の気持ちは今朝の朝食で先払いしてますから」
有朋と将生が話していると、松下教授に声を掛けられる。
松下「やぁ、鵜飼君、鷲宮君」
有朋「先生、こんにちは」
将生「こんちーす」
松下「先日のパーティのアンサンブル、バイオリンは君達2人だけでしたよね。他に誰かいましたか?」
有朋「いえ。僕等だけだと思います」
松下「そうですか、ありがとうございます」
将生「もしかして良い話ですか?」
松下「生憎そんなんじゃなくて、問い合わせがあっただけです」
有朋「問い合わせ?」
松下「大したことじゃないから気にしないで下さい。では」
松下、立ち去る。
有朋「何だろう、嫌だなぁ。俺たち何かやらかしたっけ」
将生「だとしたらとっくに連絡あるだろ。もう一週間くらい経つんだし、それは無いって」
有朋「そうだといいけど」
将生「あれじゃね? あの日は作家の湯本香奈の出版記念だったじゃん。会場に業界人的な人がいっぱいいただろうし、偶然会場にいた大物が俺たちの演奏を聴いて『あのバイオリニストは誰ですか?』って探してくれてるとか」
有朋、将生を呆れた顔で見る。
有朋「おめでたい脳みそで羨ましいよ」
将生「あ、今俺をディスったな」
有朋「違う。ポジティブな気持ちって素敵だなって言ったの」
将生「全然そうじゃなかっただろ。お詫びとして一週間朝食食いに行くからな」
有朋「日本語の使い方おかしくない? それに将生はしばらく出禁だから。うちはカフェじゃありません」
将生「はぁ、それまじで言ってんの!?」
松下教授の教授室
松下がスマホで話している。
松下「滝田音大の松下です。先ほどのお問い合わせの件ですが、パーティで演奏していたバイオリニストはうちの生徒です。……はい……はい、それはお伝えいただいて構いませんが、生徒の個人情報はお知らせ出来ないので、そうですね、もし良ければ大学にお越しいただければご紹介しますとお伝えいただけますか。……はい、よろしくお願いします」
松下、電話を終える。
松下「さてさて、ラッキーボーイがいたもんですねぇ」
中庭
有朋と将生が歩いている。
○Flowers Music
18Fの制作フロアの窓際で、大河内がスマホで電話をしている。
大河内「そうですか、ありがとうございます。お待ちしております。湯本先生にもくれぐれもよろしくお伝えください」
大河内、電話を切りフロアを見渡すと、岩瀬蒼汰(30)と葉月が並んで座る後ろ姿。
葉月は手に岩瀬のFMラジオ局の社員の名刺が沢山入ったケースを持ちながら、夢中で話をしている。
葉月「私もクラシックじゃなくてロックの担当になりたかったです。そのためにレコード会社に入ったんだから」
岩瀬「俺もロック担当になって数年になるし、その内担当替えがあるかもしれないからさ、希望持って行こうよ。にしてもそのTシャツ、北米のバンドの限定ものでしょ。本物? すごいじゃん」
岩瀬「あ、気が付きました? さっすが岩瀬さん。そうなんです、苦労してゲットしました。岩瀬さんのそのTシャツも、ULTRA EXPRESSのツアーTですよね。さすが担当愛! クラシックなんていつも黒っぽいスーツだから、Tシャツを選ぶ楽しさが皆無なんですよね」
岩瀬、葉月の背後に立つ大河内に気付く。
大河内「仕事以外の話だと口数が多いんだな」
葉月、ドキっとして振り向く。
岩瀬「はは。お疲れ様です。仲川ちゃん前向きでいいっすね」
大河内は葉月が着ているおどろおどろしい絵柄の黒Tシャツに目が行き、険しい顔。
大河内「なんだ、その服は」
葉月「あ、これは、今日はハロウィンだからそれっぽい洋服にしてみようかなーって思って着て来た、みたいな」
岩瀬「大河内さんさすがっすねー。これ海外の有名なヘビメタバンドの限定Tシャツで、俺も持ってないレア物なんですよ」
大河内、大きく溜息。
大河内「うちは衣装規定は無いから別に何を着ても構わないんだが、もし急に仕事でコンサートに行く事になったら、さすがにそれでは連れて行けないな。岩瀬はそれがユニフォームみたいなもんだろうけど」
葉月「……すいません」
岩瀬「まぁまぁ、今日はコンサートは無いんですよね? だから仲川ちゃんもスーツじゃないんだと思うし。それに今日はハロウィンですよ。コスプレだと思えば全然アリじゃないですか」
しょんぼりする葉月。
大きなため息をついた大河内、葉月に紙袋を渡す。
葉月「……あ、湯本さんの小説だ」
大河内「とりあえず5冊あるから読むように。読み終えたら次を渡す」
葉月「はい、ありがとうございます」
岩瀬「いいなぁ、俺も読みたい」
大河内「仲川と順番に読めばいい」
岩瀬「ありがとうございます」
大河内「それと、例の」
大河内、話を途中で止める。
葉月「……例の?」
大河内「いや、何でもない。岩瀬も忙しいだろうから雑談はほどほどにして、早く一人で外回りが出来るようになるんだ」
葉月「はい」
大河内のスマホにラインが届き、大河内が2人から離れる。
ラインは作家湯本の秘書からで、そこには「先ほどのお電話の件です。滝田音大の松下教授の連絡先。090-●●○○-××××。バイオリンの生徒をご紹介いただけますので、こちらまでご連絡くださいませ」とある。
大河内、葉月の方を見る。
葉月は岩瀬の名刺ケースをページ毎にスマホで撮影している。
大河内、ラインを閉じる。
アンサンブル・ノート
■第5話
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